「誇り高く優雅な国、日本」という本をご紹介します。
著者は1873年グァテマラ市に生まれ1927年パリで亡くなった、エンリケ・ゴメス・カリージョという報道文学者で、父親はスペイン貴族の血筋に誇りを覚える保守的な人物ということです。
大国ロシアとの戦いに勝って西欧諸国を唖然とさせた日本は、当時ヨーロッパ中の注目の的となっていました。
来日は1905年8月末横浜到着となっており、確かな滞在日数は不明ですが、ほぼ二ヶ月後にはフランスへの帰途についたようです。帰路の旅先から、彼はパリにいる友人のルベン・ダリーオ(ニカラグアの大詩人)にあてた手紙の中で「もしあなたが私の葬式で弔辞を述べるようなことがあったら、私の魂が東洋の芸術家のそれであったということ、そして金色に輝く漆で大和の花や小鳥や娘たちの姿を描きたいと願っていたということを忘れずに人々に伝えてほしい」と書き送っています。
では「洗練された精神」と題する章から引用してみます。
写真は明治42年頃の上野駅の画

引用開始
日本では農夫でさえ、モリエールの貴婦人たちと同じように慇懃な美文調で話す。詩人芭蕉の伝記の中に、興味深くまた含蓄のある逸話がのっている。数人の樵が山中でこの俳諧の創始者に出会ったとき、こう言う。「あなた様のご助言を乞う非礼を、あなた様の御令名に免じてお許し下さい」。これを、記録者が庶民の言葉を書きしるす際に誇張したものだなどと思ってはいけない。礼儀は、帝からクーリー(苦力)にいたるまで、だれもが細心の注意を払って行う国の宗教である。
マセリエールが言及している室鳩巣の書を読めば、かの時代には礼法が民衆の間にまで浸透しており、いたって貧しい者でも相手を侮辱したり不作法な態度をとることはなかったことがわかる。労働者は、彼らの用語範囲内でできるかぎりの謙譲語を使用して丁寧に話をした。
侍について鳩巣はこう言っている。「彼らの言葉はきわめて洗練されており上品なので、民衆にはほとんどわからない」。
島流しになったある武士は、本土から遠く離れたその島で細工物を作る仕事をしていたが、いかに庶民の言葉を身につけようと努力しても、仲間の労働者たちに正確に理解してもらえず、気違い扱いされたという。
上流階級の文法によれば、表現すべき尊敬の種類によって動詞の語尾が変る。“召使いは籠を持っていた” というのと“ご主人は刀を持っていた” というのは同じではない。各音節が尊敬や軽蔑、敬意や尊大さ、お辞儀やしかめっ面をあらわす。学者たちは何年でも飽きもせずに丁寧語や尊敬語の定義について議論をしている。洗練された習慣には、十分に洗練された言語が必要なのだ。あらゆるものが礼儀作法の厳格な法に則っている。・・・・・
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