2007年07月30日

フランス青年の明治4

明治東海道の旅3
『ボンジュール・ジャポン』フランス青年が活写した1882年という本からご紹介します。
著者のウーグ・クラフトは明治十五年に日本を訪れ、彼が「見たままを写した」写真と「感じたままを書いた」紀行文とをまとめものがこの本です。
著者はシャンパーニュ地方のランスで、シャンパン財閥の長男として生まれ、少年期、青年期にかけて、パリ万国博覧会が二回(1867と1878年)、ウィーン万国博覧会(1873年)も開かれ、ヨーロッパのジャポニスムに大きく刺激を受けたようだとのことです。
写真は当時の奈良、春日大社
krafft9.jpg

引用開始
奈良は八世紀に首都だった人口二万人の町で、寺を囲む大きな森と、十八メートルもある巨大な大仏で知られている。この大仏はミカドの希望によって、何度か失敗した末、七四九年に造られた(正しくは七四七年鋳造開始、七五二年開眼)ものだ。・・・・
 坂の上にある、私たちの泊っている宿ムサシノから、大きな階段とカスガノミヤ(春日大社)へ通じる林道が延びていて、巡礼者たちが木や角でできたおみやげを売る店の前を通っている。近くでは、てなずけられた鹿が草を食べている。
 赤く塗られた回廊と礼拝堂は、緑の生い茂った背景に映える。暗い葉の茂った大樹林の間の巨大な杉の下を曲がり、数百メートルにわたって両脇にランタンと花崗岩の台座(燈籠)が並んでいる段々になった大通りを行くと、この神秘的な眺望の中で、少し離れた所にもう一つのシントーの社ワカミヤに着く。まるで墓の間を歩いているようで、恐れさせるような効果がある。
 ワカミヤでは、非常に興味深いカグラ(神楽)という宗教舞踊が九円で見られる。これはシントーの非常に古い勤行で、熱心な信者の希望でミサのように行われる。
写真は当時の奈良、春日大社の神楽
krafft10.jpg

 儀式の様子を説明しよう。社の庭に面して開け放した部屋に、三人のカンヌシと女が観客の前にひざまずく。右側の少し奥まった所に、四人の処女が舞踊の準備をして控えている。聖職者たちは短い白衣をまとっている。手にはそれぞれ笛、長太鼓、二枚の木の板を持っている。若い女たちは、顔を厚塗りして、白と金と薄緑色の長い服をまとい、それが下に着ている深紅の服と対照をなしてくっきり浮かび上がっている。ほどいた髪が背中に垂らしてあり、首の高さで金色の輪で結んでいる。額の上には人工の花の房が飾られている。
 楽器を演奏する女も同じ格好をしていて、目の前に長くて平らなハープ(琴)を置いている。この人たちはみな一言も喋らず、不動のまま合図があるまで待っている。合図と共に頭を床まで下げ、楽器がメランコリックな前奏をかなでる。若い女たちが立ち上がり、列になって進み、色とりどりのリボンのついた鈴の束や扇子を操りながら、優雅で息のあった間を取ったゆっくりした動作を始める。聖職者たちは長太鼓の音、板のパチパチいう音、笛のうなるような音、ハープのせわしない音階に合わせて、悲しげな連祷を歌う。・・・・

 奈良から大阪まで、途中、薬師寺と法隆寺の二つの寺に立ち寄ると一日かかる。・・・・
 街灯のない暗い町外れ、終わりのない道、同じ橋をまた渡っているのではないかと思うほど数多くの大きい橋や小さい橋を通り、十四日の夜大阪のジュテイホテルに到着した。
続きを読む
posted by 小楠 at 07:21| Comment(2) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本B