2007年07月27日

フランス青年の明治2

明治東海道の旅1
『ボンジュール・ジャポン』フランス青年が活写した1882年という本からご紹介します。
著者のウーグ・クラフトは明治十五年に日本を訪れ、彼が「見たままを写した」写真と「感じたままを書いた」紀行文とをまとめものがこの本です。
著者はシャンパーニュ地方のランスで、シャンパン財閥の長男として生まれ、少年期、青年期にかけて、パリ万国博覧会が二回(1867と1878年)、ウィーン万国博覧会(1873年)も開かれ、ヨーロッパのジャポニスムに大きく刺激を受けたようだとのことです。
写真は旅の一行、フランス人の左からウーグ・クラフト、シャルル・ケスレ、弟エデュアール・クラフト、ルイ・ボーシャル。洋装の日本人が通訳のイトー。
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引用開始
 すでに八日間東海道を進んでいるが、一歩進むごとに新しい風景が現れる。・・・・一年のうちに春と秋との二つのきれいな季節を過ごせるとは、夢のような気持ちがする。・・・・
 もし自然の美しさが民族の容貌と性格に影響するとすれば、日本人はきっと勇壮な山やのどかな谷から、誇りを持った、独立的で優しく陽気な性格を養われたのであろう。中国人の皮肉っぽい表情や憎々しげな態度を思い出すにつけ、それほど遠い地ではないのに、全然違う性格で、礼儀正しく快い歓迎に魅了されてしまう。
 しかし我々外国人は、日本人の礼儀作法を正しく評価しない傾向があるようである。初めて見ると洗練されているがあまりにも儀式的な態度なので、彼らにとっては大切な慣習も、我々には間抜けて見える。どれほど西洋的な思い上がりや、無遠慮な態度や、疑い深い態度が彼らを傷つけていることであろうか。
ここでは日常的な礼儀として、人に話す時、自分自身を卑下して、相手を称賛とお世辞で満たさなくてはならない。これは私たちには考えられないことである。家の中で挨拶をする際も、ござに手と膝をついて、何度も額を床につけるのである。道で会った場合は、お礼やお世辞をささやきながら、またもや何度も体を曲げるのである。どの階級のどの部類の男も女も子供も、苦力から貧しい旅行者、乞食にいたるまで、出会いがしらと分かれ際に、私たちが下関で見た例のように儀式ばっているのである。
 この礼儀作法に対して、当然私たちは不器用で気の利かない対応をしてしまう。不慣れで戸惑っている私たちに代わって、ガイドのイトーに挨拶が集中する。だが冗談に関しては非常に気が合い、何を言っても笑う。私たちが単に「オハヨー」といっても笑い、たいしたことがなくても爆笑するのである。
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posted by 小楠 at 07:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本B