2007年07月26日

フランス青年の明治1

明治15年、日本到着
 『ボンジュール・ジャポン』フランス青年が活写した1882年という本からご紹介します。
著者のウーグ・クラフトは明治十五年に日本を訪れ、彼が「見たままを写した」写真と「感じたままを書いた」紀行文とをまとめものがこの本です。
著者はシャンパーニュ地方のランスで、シャンパン財閥の長男として生まれ、少年期、青年期にかけて、パリ万国博覧会が二回(1867と1878年)、ウィーン万国博覧会(1873年)も開かれ、ヨーロッパのジャポニスムに大きく刺激を受けたようだとのことです。
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引用開始
 上海を出発して二日後、三菱の船は外輪式でずっと振動しているから、あまり快適とはいえないたびの末、東京丸は長崎に寄港した。・・・翌朝、私たちは下関の海峡に錨を下ろした。・・・ここで外務卿の井上氏(井上馨)が乗客の一人として加わることになった。彼は下関に、朝鮮での出来事(壬午軍乱)のために来ており、東京に戻るところだった。・・・・・
 たくさんの人たちが大臣の見送りに来ていたので、私たちは、世界で最も追従的と思われる日本のマナーの数々を目の当たりにすることができた。
 それは数えきれないほどペコペコと頭を下げる動作の連続だった。それぞれが何度も何度も体を曲げ、地面に頭がつかんばかりに下げるのである。奇妙な口笛を吹きながら、手を膝の上で上げたり下げたりしながら、作り笑いを惜しみなく浮かべるのである。かわいそうな大臣とお付きの人たちは、お辞儀された分だけ挨拶を返さなくてはならないから、頭を下げ足をこすり合わせ続けていた。・・・・・

 八月十五日、神戸の外国人租界に到着、・・・日本はどこでも電信線が引かれており、何年も前から鉄道も走っていて、特に大阪経由の神戸・京都間、横浜・東京間は発達している。中国では、1876年にいち早く引いた上海・呉淞間の鉄道を破壊して、首都と地方都市を結ぶ線の建設許可の決断も下せなかったのである。隣国同士でこれほど違う民族については、書いても書ききれないほどである!・・・・
 神戸近郊の布引の滝は、旅行者にとっても住民にとっても、魅力的な散歩コースとなっている。私たちは狭い急流へと通じる坂道までジンリキシャ(人力車)で行く。・・・・私たちが頂上のチャヤ(茶屋)と呼ばれている茶を飲ませる店に近づくと、二人の気取った女たちがわざわざ出迎えにやってきた。さまざまな身振り手振りをしながら私たちを歓迎し、案内するために手を取った。ござに座らせ、小さな磁器の茶碗に、あまり色はないが香りのよいお茶を注いでくれた。ヨーロッパの同じ階級の娘たちと比較した場合、気取らず親切で、優雅で優しいこの娘たちに軍配が上がる。
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posted by 小楠 at 07:16| Comment(0) | TrackBack(1) | 外国人の見た日本B