2007年07月11日

レガメの明治日本見学1

 明治初期に来日した二人のフランス人の著書から、彼らの観た、当時の日本及び日本人の姿をご紹介します。
明治九年、フランスの実業家であり、宗教や特に東洋美術に強い関心を持つギメは、宗教事情視察の目的で、画家のレガメと連れ立って来日しました。この本はギメの「東京日光散策」とレガメの「日本素描紀行」が収められています。レガメの挿絵も沢山収録されています。
レガメは明治三十二年に再来日していますが、今回はそのレガメの「日本素描紀行」からの引用です。
画像はS氏(杉田義雄)と家族
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引用開始
 日常生活には、その本質的なものの中に、昔からの習慣が残っている。家庭生活では、まだ何も変っていないのである。
 祖先崇拝、孝心、誠実さ、兄弟愛、夫婦間の貞節、老人を敬う心、子供や弱い者への思いやり、貧しい者への慈善、助け合う心、これらすべてが、家庭での教育でしっかり教え込まれ、僧侶と何の関係もない儀礼や、独自の儀式を通じて培われる。
 神棚は家の中にあり、父親には魂を導く責任があり、そしてその妻は、夕方になると家の女中たちを身辺に集め、自分は彼女たちの安泰と振舞の責任者であるという態度を保っている。――これはわれわれの国の中産階級でのような、七階の屋根裏部屋の召使いのあり方とはずいぶんと違う。
 日本の家では、家具はたいへん少なく、これが家の中での仕事の手間を省き、他の仕事をしやすくしている。余った時間には、糸を紡ぎ、絹を織り、また、家族用に必要な衣服を作ったりする。
 一つの例として、シカゴの博覧会[1893年の世界代博覧会]への、先の皇太后[英照皇太后]の出品が挙げられる。それらは皇太后の御所で織られた見事な絹織物であった。

 結婚は、まったく民法上の[宗教儀式によらない]もので、簡単な登録によって認められる。贈物の交換のあと、儀式としては、親族の集まりが、新婦の家で行われるだけである。
 養子縁組は、古い時代に宗教上の理由から、祖先を崇拝する慣行を果たすのに、男の代表者を必要としたために生まれた習慣であると言える。今日では、この習慣の恩恵をこうむっているのは、もはや死者ではなくて、生きている者、特に低い階層の者たちである。 息子の義務は、年とった両親の必要に応じて援助することである。誰もこの義務を免れようと考えていないので、養老院を設立する必要は感じられないし、そして公共負担はそれだけ軽減されている。

 社会のどの階層でも、貧富にかかわらず、親族会議の諸権利は、今でも尊重されている。一個人にかかわる重要な事柄は、親族会議の判断にすべて委ねられる。親族会議の承認なしに農家の息子は、村を去って都会で生活しようとは考えないであろうし、同様に、上流階級の人間は、近親の承諾なしには自分の財産を抵当に入れることはできない。隠居Inkioつまり、ある年齢に達して、共同体[家族]の主人の地位を退いた者は、まだ元気いっぱいであり、公の仕事をすることはできる。だが私生活での役割りはまったくなくなる。その場合、一家の舵を取るのは長男である。
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posted by 小楠 at 07:16| Comment(8) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本B