2007年07月09日

支那事変海軍機の活躍

敵大編隊を果敢に射落す我空軍

 昭和十二年十二月十八日発刊の、「各社特派員決死の筆陣『支那事変戦史』」という本があります。約750ページにもなる分厚い本ですが、昭和十二年七月の盧溝橋事件から十月末の上海事変ころまでの特電を集めたもので、当時の事件が生々しく伝わってきます。日本軍を執拗に挑発し、和平を阻害する裏には、ソ連と中国共産党の策謀そしてアメリカの蒋介石援助があることは周知の通りです。
では、事件毎に一部を抜き出して引用してみましょう。時は昭和十二年のことです。
海の荒鷲出発前の訓示
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引用開始
上海十五日(八月)発・読売特派員 田中幸利
 上海における支那軍空爆、しかも米国製飛行機の編隊爆撃は、日本軍、ならびに日本人が生まれてはじめて受けた空襲の洗礼ていってもよいであろう。そのうえ暴虐な支那飛行機は盲目滅法な爆撃をやって列強の憤慨を買った。それに対し大鷲に向う隼の如きわが少数の艦載機は入り乱れて壮烈な空中戦を展開し、みごとに敵機を射落した。
 国際人の監視裡、颯爽として軍門にふさわしき血祭りである。本社上海支局は敵弾雨飛する支局を上海日々新聞社に避難、田中支局長はその屋上より十四日の空中戦を親しく観戦した。以下田中支局長の手記である。

 十四日払暁二時ごろより天地を揺がして轟き渡っていた全線の砲声が夜明けとともに衰えたと思うと、七時過ぎ、天の一角から遠雷のような爆音が聞えてきた『それ! わが軍の出動だ!』と興奮と不安の一夜を明かした全邦人は慌てて飛出した。台風がはこぶ雨雲の間を縫って三機編隊の爆撃機だ。それと認めて女や老人までが『うれしい、うれしい』と歓呼の声をあげた。子供たちは雀躍して飛行機だ飛行機だと手に手に日の丸の旗をふった。ああ上海は救われる、われわれ日本人は救われるんだ。支那兵にいじめつけられていた憤懣がとけて喜びの色がサッと流れた。編隊はますます機影をひろげてわれらの頭上をかすめた。その瞬間陸戦隊本部方面に突如として砲声があった。わが高射砲や高射機関銃が一斉に火蓋を切ったのだ。あッ敵だ! あの飛行機は敵だ敵だと全邦人の安堵と喜びは忽ち恐怖と戦慄に変わり、土嚢の影のわが兵は一斉に銃口を空に向け、民家の上に散在する機関銃隊も一斉に火蓋を切った。だが雨雲低く垂れた悪天候は却って敵に幸いした。密雲を破って急降下して来ては爆弾を投下、忽ち急角度で上昇して雲中に逃げ込んでしまうのだ。わが高射砲隊が一斉猛射を浴びせる時にはすでに敵機は密雲の中に姿を消してしまっている。密雲の中の姿なき爆音を追いながら照準を定めるのだが、これでは如何に精鋭なるわが高射砲隊たりとも如何ともなしがたいではないか! 高射砲の弾丸は空中に空しく炸裂点々たる黒煙を天に印するのみである。
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posted by 小楠 at 07:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚の中の支那事変