2007年06月29日

盧溝橋特派員特電5

狡猾極まる南京政府

 昭和十二年十二月十八日発刊の、「各社特派員決死の筆陣『支那事変戦史』」という本があります。約750ページにもなる分厚い本ですが、昭和十二年七月の盧溝橋事件から十月末の上海事変ころまでの特電を集めたもので、当時の事件が生々しく伝わってきます。では、事件毎に一部を抜き出して引用してみましょう。時は昭和十二年のことです。
巻頭にある写真を掲載しておきます。
平漢戦線負傷兵の後送
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引用開始 
【南京朝日特電七月十五日発】
 南京政府は北支事変以来全く不遜極まる態度をもって望み和平解決を実行するが如き誠意を有していない。即ち政府当局者は公然と非は日本側にありと宣伝し、地方党部及び各機関に命令して計画的民衆運動を煽動し抗日商売の馮玉祥等は二十九軍および旧西北軍系軍隊に対し『抗敵英雄たれ』と歯の浮くような通電を発して得意になっていると云われ、抗日戦線の巨頭孫科は広東行きを中止し、上海にあって人民戦線一派と連絡をとり、政府部内の自重派を圧迫して民衆運動の指導に当って居ると伝えられて居るが、駐支英国大使ヒューゲッセン氏が北戴河より急に南京入りをするに至ったのは、本国政府の訓令によるよりも南京政府の懇望によったもので、飽く迄外国勢力に依存して局面を有利に導かんとする支那流の政策で、外交部当局者はしきりに南京在留の外交官及び外国記者を招致し、勝手な宣伝に躍起となっている。

 某外国人記者などは余り露骨な宣伝振りに呆れて我が大使館に事実を確めに来る始末であり、一方南京政府としては、この機会に地方軍を整理せんとする腹黒い魂胆はいよいよ露骨で新聞を利用して二十九軍将兵慰労義金を募集し英雄扱いをし安価な憂国心をそそって、いやが上にも二十九軍及び韓復軍、山西軍をして日本軍と衝突せしめ、労せずして北支の中央化を図らんとする魂胆である事は明瞭であり、二十九軍その他の北支地方軍の南京弁事処をして常にニュースを放送させているが、この手段を選ばぬ老獪な国内政策に対して外人筋でも不愉快に思って居る。こうした重大時局に際し徒に小策を弄し民衆を欺瞞に陥れる抗日政策は益々時局を急迫に導くものであり、いよいよ和平解決を困難ならしめるものであって、支那を大混乱の渦中に投げ込む責任は南京政府が負うべきであるといわれて居る。
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posted by 小楠 at 07:18| Comment(6) | TrackBack(1) | 書棚の中の支那事変