2007年06月27日

盧溝橋特派員特電3

政府、中外に重大声明
 
 昭和十二年十二月十八日発刊の、「各社特派員決死の筆陣『支那事変戦史』」という本があります。約750ページにもなる分厚い本ですが、昭和十二年七月の盧溝橋事件から十月末の上海事変ころまでの特電を集めたもので、当時の事件が生々しく伝わってきます。では、事件毎に一部を抜き出して引用してみましょう。時は昭和十二年のことです。
 今の朝日新聞とは正反対の論調ですが、これは当時の情勢そのままの記事として真に迫るものがあります。今の朝日の論調なら、シナ軍の暴挙は隠蔽し、日本軍のアラ探しをして報じることでしょう。しかし彼らの先輩記者は、事実をそのまま伝えていました。
写真は日支の衝突現場
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引用開始
【朝日七月十二日朝刊】
 政府は十一日の緊急閣議に於て北支事変に対する帝国政府の根本方針に関し廟議一決すると共に近衛首相より上奏御裁可を仰いだ後左の如く中外に声明した。
声明全文
 相踵ぐ支那側の侮日行為に対し支那駐屯軍は隠忍静観中の処、従来我と提携して北支の治安に任じありし第二十九軍の七月七日夜半、盧溝橋附近に於ける不法射撃に端を発し、該軍と衝突の已むなきに至れり、為に平津方面の情勢逼迫し我在留民は正に危殆に瀕するに至りしも、我方は和平解決の望を棄てず、事件不拡大の方針に基き局地解決に努力し、一旦第二十九軍側に於て和平的解決を承諾したるに拘らず、突如七月十日夜に至り彼は不法にも更に我を攻撃し、再び我軍に相当の死傷を生ずるに至らしめ而も頻りに第一線の兵力を増加し、更に西苑の部隊を南進せしめ中央軍に出動を命ずる等、武力的準備を進むると共に平和的交渉に応ずるの誠意なく、遂に北平における交渉を全面的に拒否するに至れり。
 
 以上の事実に鑑み、今次事件は全く支那側の計画的武力抗日なること最早疑の余地なし。思うに北支治安の維持が帝国及び満州国にとり緊急の事たるは茲に贅言を要せざる処にして、支那側が不法行為は勿論、排日侮日行為に対する謝罪を為し、再び今後斯かる行為なからしむる為の適当なる保障等をなすことは、東亜の平和維持上極めて緊要なり。よって政府は本日の閣議に於て重大決議を為し、北支派兵に関し政府として執るべき所要の措置をなす事に決せり、然れども東亜平和の維持は帝国の常に顧念する所なるを以て、政府は今後共局面不拡大の為、平和的折衝の望を捨てず支那側の速なる反省によりて事態の円満なる解決を希望す。又列国権益の保全に就ては固より十分之を考慮せんとするものなり。

銃火に孤立の北平
北平十一日発・読売特派員 村上知行
 北支那の杜の都、古都北平は今や硝煙のなかに孤立した。盧溝橋に暴戻二十九軍の銃声起るや布告された戒厳令は軍警の手によってますますその警戒をきびしくし、邦人といえば有無をいわさず訊問する、殴打する、というまったく人道を無視した敵対行為に出で、この戒厳令は今のところ日本人に対して布かれておるというような奇妙な印象を与えている。
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posted by 小楠 at 07:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚の中の支那事変