2007年06月25日

盧溝橋特派員特電1

昭和十二年十二月十八日発刊の、「各社特派員決死の筆陣『支那事変戦史』」という本があります。約750ページにもなる分厚い本ですが、昭和十二年七月の盧溝橋事件から十月末の上海事変ころまでの特電を集めたもので、当時の事件が生々しく伝わってきます。では、事件毎に一部を抜き出して引用してみましょう。時は昭和十二年のことです。
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引用開始
演習中の我軍に二十九軍不法射撃
【北平[北京のこと]朝日特電七月八日発】
 八日午前零時頃我が駐屯部隊が北平郊外盧溝橋付近において夜間演習中盧溝橋駐屯の第二十九軍第三十七師(師長馮治安)に属する二百十九団の一部が不法にも数十発の射撃を加えたため我軍は直ちに豊台駐屯部隊に急報して出動を求め支那軍に対し包囲態勢をとり対峙、我軍は支那側の不法行為に対し厳重謝罪を要求したところ午前四時二十分頃支那側は再び不法射撃を行いたるため我軍も遂に火蓋を切り双方機関銃、迫撃砲をもって交戦、銃砲声は暁の空を破って遥か北平城内まで伝わったが、遂に支那軍を撃退し龍王廟を占拠した。盧溝橋の支那部隊に対しては目下武装解除中である。

支那側の要請で一時停戦
【天津朝日特電八日発】
 八日午前九時半支那側の停戦懇願により両軍一先ず停戦状態に入ったが我軍は午前十一時までに付近一帯の支那軍が完全に撤退せざる限り全滅作戦を以て撃退すべしとの強硬態度を持しこの決意の下に目下現地交渉が進められつつある。

【北平八日発同盟】
 支那側の申出に依る停戦期限たる八日午前十一時に至るも支那側より何等の回答に接しないが我軍は事件不拡大の建前から正午頃迄右期限を猶予するに決し支那側の誠意披瀝方を督促しつつある。

【北平大毎、東日特電八日発】
 八日午前十一時を期限とするわが方の撤退要求に対し支那軍はこれに応ぜず宛平城内における彼我の交渉は遂に決裂した。よってわが軍は最初の決意に基づき断乎龍王廟及び宛平城内の支那軍を掃討するに決し午後三時まで彼の確答を待ったが遂に支那軍に対し再び応戦するに至った。ただ宛平城内には住民二千余名あり、これに損害を与えざるようわが方では砲撃に当り手心を加え右岸にある盧溝橋の一部隊をしてこれに合流せんとする永定河前方の散在部隊に向って主砲を浴びせているが敵は全面的に増援部隊を山岳地帯及び前線の各部隊に配置し乱射を続けており後退の模様なく夜の帳の近づくと共に最後の重大事は迫りつつある。
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posted by 小楠 at 07:39| Comment(6) | TrackBack(3) | 書棚の中の支那事変