2007年06月19日

ケンペルと元禄の日本4

各奉行屋敷への訪問

1690年(元禄三年)7月4日に日本にやってきたケンペルの「江戸参府旅行日記」の中から、1691年2月13日に長崎を出発して、江戸参府を行った当時の日本人との交際にあたる部分を、少し引用掲載してみます。ここは前回と同じ日の出来事から続けます。これは300年以上前の日本の姿です。
画像は謁見の広間の内部
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引用開始
 もう午後3時であった。・・・今日にも贈物を携えて、老中と若年寄を儀礼的に訪問しなければならなかった。そこでわれわれは将軍の御殿を離れ、大番所にいた主立った人々に、通り過ぎる時挨拶をし、歩きつづけた。
 贈物は、一つもわれわれの目につかなかったから、すでにわれわれが行く前に、めいめいの屋敷に書記役が持参し、たぶん特別な部屋に置いてあるのだろう。
・・・どの屋敷へ行ってもわれわれは書記役に丁重に迎えられ、短時間なので当然のことであるが、挽茶や煙草や菓子を出してもてなされた。われわれが通された部屋の簾や障子の後ろは、女性の見物人でいっぱいだった。もしわれわれが彼女たちにおどけたしぐさを少しでもやって見せたら、好奇心が強いから、大へん喜んで見物したであろう。しかし備後守の屋敷と、城内の北側にある一番若年の参政官[側用人柳沢出羽守吉保。当時33歳]の屋敷以外では、彼女たちは当てがはずれたであろう。備後守の屋敷では少しばかりダンスをお目にかけ、出羽守の所ではわれわれ一人一人が歌をお聞かせした。・・・

3月30日金曜日
 われわれは朝早く、他の役人すなわち二人の江戸町奉行、三人の寺社奉行、外国人や舶来品を監視する二人の宗門改めのところに、われわれの贈物を届けるため、馬で出かけた。その贈物は同じように日本人の書記役が、台に載せてあらかじめ指定された謁見の間にきちんと並べておくのである。
・・・一人または二人の家来の案内で幾つかの部屋を通りぬけ、四方八方どこの場所も見物人でぎっしりと詰っている謁見の間に連れて行かれた。席につくと煙草や挽茶が出された。それから間もなく用人か書記役が一人、時には同僚と一緒に出て来て、主人の名において挨拶を受けた。
 いつもわれわれは目に見えぬ婦人たちの視野の中にあるようになっていた。いろいろな焼菓子や砂糖漬の菓子をわれわれの前に出して、婦人たちのお気に召すように、われわれを引留めようとした。

 二人の宗門改めの奉行は、一人は西南で、もう一人は東北と、一里ほど離れたかなり遠い所に住んでいた。われわれが大へん彼らの愛顧をこうむっていたかのように、大仰な出迎えを受けた。すなわち10人ないし20人の武装した堂々たる服装の侍が、頑丈な棒を横に伸ばして町筋に立ちふさがり、詰めかけた群衆を前へ出ないように抑えていた。
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posted by 小楠 at 07:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本B