2007年06月16日

ケンペルと元禄の日本2

元禄時代のオランダ人の旅行

1690年(元禄三年)7月4日に日本にやってきたケンペルの「江戸参府旅行日記」の中から、1691年2月13日に長崎を出発して、江戸参府を行った当時の日本人との交際にあたる部分を、少し引用掲載してみます。
これは300年以上前の日本の姿です。
挿絵はオランダ使節の行列
gyoretsu.jpg

引用開始
 われわれが宿に着くと(道にいる腕白小僧たちが叫び声をあげるので、少しもゆったりした気分になれず)与力に導かれて家の中を通り、われわれの部屋に行くのだが、そこでは小さな裏庭に出ること以外は何一つ許されず、同心たちは田畑や裏通りの見える窓や、そこに通じる戸口などすべてのものに鍵をかけさせ、釘付けにさせる。
 彼らに言わせれば、盗賊から守るためというのであるが、腹をさぐれば、われわれを盗賊や逃亡者のように見張るためなのである。それでも帰りの旅行の時には、われわれはようやく信用を得たので、こうした彼らの用心は目に見えて少なくなったのに気付いた。
 検使は、その部屋がどの部分にあっても、われわれの部屋に次ぐ良い部屋を使う。与力・通詞および同心たちは、われわれの一番近くにある次の間をとるが、その目的はわれわれを見張っていて、従僕やよその者が、彼らの知らないうちに、または許しを受けずに、われわれの所に立寄るのを妨げるためである。・・・・

 われわれが割当てられた部屋に入ると、宿の主人は、すぐに家族のうちの主立った男たちを連れて姿を見せ、めいめい薄茶をいれた茶碗を持ち、体を非常に低く折曲げ、胸の中からしぼり出したような丁重な声で、アー・アー・アーと言いながら、それを階級順に次々に差出す。
 主人たちが着ている礼服や腰にさしている短刀は、客が泊っている間は家の中でも脱いだり、とったりはしない。その次には、喫煙具が運ばれる。・・・同時に折板や漆塗りの平らな盆に肴が載せてある。すなわち焼菓子、国内産のイチジクやクルミなどの果実、暖かいまんじゅう、米から作った菓子など、また塩水で煮たいろいろな種類の根菜類とか砂糖菓子といったようなもので、これらは最初に検使の所に、次にわれわれの部屋に出される。

 日本人の客に対する給仕は女中が行う。彼女たちは客の所にすべての必要なものを運び、食事時には酒や茶をつぎ、食べ物を出したりし、そうすることで近づきになるための道を拓くのである。
 オランダ人の場合にはこのような給仕はなく、それだけでなく旅館の主人や番頭たちでさえ、茶を持って来た後は部屋に入ることは全く禁止されており、せいぜい部屋の引戸の前まで来ることが許されているくらいである。というのは、われわれの連れて来た従僕がなんでも必要なことをしてくれるし、われわれに加勢してくれるからである。・・・
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posted by 小楠 at 07:24| Comment(2) | TrackBack(2) | 外国人の見た日本B