2007年06月15日

ケンペルと元禄の日本1

オランダ人の参府旅行準備

1690年(元禄三年)7月4日に日本にやってきたケンペルの「江戸参府旅行日記」の中から、1691年2月13日に長崎を出発して、江戸参府を行った当時の日本人との交際にあたる部分を、少し引用掲載してみます。
これは今から約300年前の日本の姿です。
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引用開始
 ・・・ポルトガル人がそのころこうした儀式(江戸参府)にやむを得ずに従ったように、今またわがオランダ東インド会社の代表たる商館長もそれに従っている。彼は一名ないし二名の書記と一名の外科医をこの旅行に伴うことができるが、そればかりでなく身分や官位の異なる一群の日本人に護衛されるのである。これらの日本人は長崎奉行の支配下にあり、奉行がその役を任命する。
 このことは、将軍に謁見を願う者に敬意を表するかのようにみえるが、実際この護衛の裏にある意図は全く別で、スパイや捕虜の場合と同じようなものなのである。つまりこれによって、道中でこの国の人々と疑わしい交渉や関係が結ばれないこと、また万一にも十字架・聖画像・聖遺物あるいはその他キリスト教に何らかの関係があるものを、こっそり彼らの手に渡させないこと、外国の物やキリスト教の国々から珍しい品物を持込んで、日本人に売ったり贈ったりしないように、さらに誰かがひそかに逃れて、キリスト教の伝道あるいはそのほかの有害な騒動を国内で起こすために、身を隠したりしないように、防止しようというのである。・・・・

 再度私はこういう参府旅行に加わる楽しみを持った。最初は1691(元禄四)年で、ヘンリッヒ・フォン・ビューテンヘム氏と一緒であった。彼は正直で気立てがよく思慮深い人で、日本人の流儀や言葉によく通じていた。そして特に賢明で自分の名誉とオランダ国民の名誉を保持していた。もう一度はその翌年で現バタビア総督の弟コルネリウス・アウトホルン氏に随行した。彼は博識で世故にたけ数カ国語に通じており、その生来の愛想の良さによって、疑念を抱いている日本人にうまく取り入っていたので、それによって会社の利益を非常にあげたのである。・・・

 この旅行の準備には次に挙げることが必要である。
 まず最初に将軍とその閣老および江戸・京都・大阪にいる数人の高官に対する、一定の金額の進物を選ぶことから始まる。次にこれらの進物を分け、どれを誰に贈るかを決め、それから革の袋か行李に入れ、注意深く菰(こも)で包むが、それは贈物が旅行中こわれないためであり、最後に封印をする。贈物の選択は長崎奉行が行い、幕府に喜んで受取ってもらえそうなものの中から決める。彼らはそれらの品を早い時期に商館長を通じて注文するか、あるいは現に倉庫の中にあるものを取出す。・・・
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posted by 小楠 at 07:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本B