2007年06月08日

幕末明治の英紙報道6

イラストレイテッド・ロンドン・ニュース
明治維新のニュース
 昭和48年に初版が発行された「描かれた幕末明治」という本をご紹介しています。これはイギリスの絵入り新聞「イラストレイテッド・ロンドン・ニュース」に掲載された1853年から1902年までの日本関係の記事を翻訳したものを一冊の本にまとめたものです。
 幕末から明治への激動の日本の姿を今に伝える一資料として、その内容を抜粋引用してみましょう。
挿絵は横浜の出入り口の門、門に見える3人は薩摩出身の兵士。
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引用開始
1868年1月11日号
 上海からの報告は、日本で革命が起った旨を伝えている。タイクン[徳川慶喜]は辞職[大政奉還]したといわれ、この変革のひとつの結果として、外国人に対する新たな諸港の開港は、おそらく2、3ヶ月遅れるものと思われる。

1868年1月18日号
 国内の内乱に関しては、現在のところ、帝国政府は今後ミカドのもとに、ダイミョウすなわち貴族層の協議機関をおくことによって運営されていくであろう、との話である。帝国の首都キアト[京都]には争乱が起っているとの噂がある。

1868年3月7日号
 この国は明らかな混乱状態にある。内乱が生じたのは外国人に対して最近行われた数々の譲歩の結果であるが、この譲歩政策については、半独立的な領主たちが中央政府と意見が合わないのである。
 中央政府についていえば、「シャグーン」[将軍]が積極的でしかも目に見える首長であるのに対して、「ミカド」[天皇]は形式上の首長なのである。若いミカドはサツマ[薩摩]、チョイス[長州]及びソソ[土佐]という帝国の3大領主によって捕縛され、1月25日[慶応4年1月1日]付の報告書発信日現在では、捕虜としてなお彼らの手中にあるとのことであった。
 香港で2月12日[慶応4年1月19日]に受取った情報によれば、連合したダイミョウたちとショウグン・ストツバシ[一橋慶喜]との間の争いが継続中とのことである。・・・

1868年4月11日号
アレキサンドリアで受取った情報によれば、日本における内乱は終った。3人の有力なダイミョウ――すなわち、薩摩と、長州と、ゾザ[土佐]――がミカドのもとに政権を握った。

1868年5月2日号
 先月7日[慶応4年3月15日]までの日本からの情報によれば、英国公使ハリー・パークス卿は、ミカドを訪問し、ミカドによって好意的に迎接を受けた。その帰路、パークスは一団の日本人に襲撃を受け[正しくは明治元年2月晦日襲撃を受け、3月3日初めて朝見]、付添の者数人が負傷した。襲撃者のうち3人が捕えられた。
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posted by 小楠 at 08:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本B