2007年06月07日

幕末明治の英紙報道5

イラストレイテッド・ロンドン・ニュース

 昭和48年に初版が発行された「描かれた幕末明治」という本をご紹介しています。これはイギリスの絵入り新聞「イラストレイテッド・ロンドン・ニュース」に掲載された1853年から1902年までの日本関係の記事を翻訳したものを一冊の本にまとめたものです。
幕末から明治への激動の日本の姿を今に伝える一資料として、その内容を抜粋引用してみましょう。
挿絵は長崎のオメズキ[御目付]とオブンゴ[御奉行]
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引用開始
外国および植民地ニュース:日本
1859年9月3日号
 最近の中国からの郵便は、6月5日[安政6年5月5日]までの日本からのニュースをもたらした。日本とヨーロッパ諸国との国交は日増しに緊張を加え、数年のうちにこの点では完全に変化が起りそうである。
 電信に関する最初の実験ののちに、皇帝[将軍]は、江戸・長崎・下田・箱根の町々を結ぶ線を架設するように命じた。
 皇帝はまた艦隊の改造も決定し、すでに蒸気軍艦を6隻もっている。それらのひとつ「二フォン号」[咸臨丸=原名ヤーパン号]は周航航海に出たが、エンジンはアメリカ製の350馬力である。。船員はすべて日本人で、彼らは蒸気エンジンの操縦に多大の適性を示している。

 アメリカ領事と日本政府[幕府]との間に難題が起ったが、このほど友好的に解決された。豊かな銅山を発見したひとりのアメリカ人が、日本の法律に反して鉱山と土地に対する権利主張した。政府は反対し、事件は不愉快な局面を迎えたが、そのとき、皇帝は、争いがさらにひろがるのを防ごうと、第三勢力を審判員に選ぶことを提案し、当初はフランスを、ついでロシアを指名した。アメリカ領事[タウンゼント・ハリス]は回答を送らなかったが、発見の当事者は、結果を道徳的に判断して、土地に対する要求は放棄し、鉱山を採掘してその利潤を日本政府と分けあう許可を求めた。この申し出はただちに受理されたが、誰しも本件における皇帝のとった中庸的立場を非常に高く評価している。

長崎の日本人
1860年2月25日号
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posted by 小楠 at 07:19| Comment(5) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本B