2007年06月05日

幕末明治の英紙報道3

イラストレイテッド・ロンドン・ニュース
長崎の知事(奉行)を訪問
1855年1月13日号
昭和48年に初版が発行された「描かれた幕末明治」という本をご紹介しています。これはイギリスの絵入り新聞「イラストレイテッド・ロンドン・ニュース」に掲載された1853年から1902年までの日本関係の記事を翻訳したものを一冊の本にまとめたものです。
幕末から明治への激動の日本の姿を今に伝える一資料として、その内容を抜粋引用してみましょう。
挿絵は長崎の上陸場所
landing.jpg

引用開始
(1854年)10月4日9時30分、5艘のボートが提督と約15人の仕官を乗せて旗艦ウィンチェスター号を後にした。
・・・上陸場は、横長で粗削りのみかげ石の石段から成り、セメントはつめてなかった。まず仕官たちが上陸し、2列になり、その間をジェームズ・スターリング卿が、石段より20ヤード先のところで彼を待ち受けている2人の肥った日本人の役人の方へと進んだ。彼らは丁重に彼を歓迎し、知事のもとに案内するためにやってきたといった。・・・・

 提督がただちに向う側の部屋に進むと、そこには知事が立っており、その右には検閲官[目付、永井岩之丞尚志]がいた。2人の背後には4人の若い役人が、手に手に鞘に納めた刀の先端を支えており、刀のつかは彼らの頭より上にあった。・・・知事は水野筑後守[忠徳]という名であった。彼は物静かで、聡明で、顔立ちのいい男で、36歳ぐらいだが、どちらかといえば中背以下である。彼は二言三言低いおだやかな声で彼の足許にいる卑賤の者に話しかけたが、その男は主君をほとんど見上げようともせず、けいれんを起したような「イチ、イチ」[はいっ、はいっ]という言葉で、一句一句理解したとの意思表示をし、知事が話すのをやめると、彼は数回畳敷きの床に接吻してのち、知事の言葉をオト(提督の通訳)に向って繰り返した。オトは提督に「知事は心からの敬意を表し、提督とその士官らにお目にかかれてうれしいといい、彼らが長崎で壮健かつ安穏ならんことを望む、といっている」と語った。

提督。知事に対し、私が彼の丁重な言葉に感謝していること、また彼が親切に送ってくれた物資のおかげでわれわれは壮健かつ安穏である、と告げよ。
知事は、提督の書翰に対する江戸からの回答をすでに受領していて伝達することをねがっていたが、まだ到着しないのが遺憾である、といった。しかし、彼は一両日中に到着することを期待した。・・・
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posted by 小楠 at 07:16| Comment(2) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本B