2007年06月04日

幕末明治の英紙報道2

イラストレイテッド・ロンドン・ニュース
クリミア戦争の知らせを受ける
1854年9月16日号付録

 昭和48年に初版が発行された「描かれた幕末明治」という本をご紹介しています。これはイギリスの絵入り新聞「イラストレイテッド・ロンドン・ニュース」に掲載された1853年から1902年までの日本関係の記事を翻訳したものを一冊の本にまとめたものです。
幕末から明治への激動の日本の姿を今に伝える一資料として、その内容を抜粋引用してみましょう。
挿絵は長崎でのボートの配置
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引用開始
 英国軍艦ウィンチェスター号は、時あたかも女王陛下[ヴィクトリア、在位1837―1901]の誕生日に当る1854年5月24日、香港に入港、郵船の船長から女王の宣戦布告文(クリミア戦争)を読み聞かされた。ウィンチェスター号は上海に赴任するサー・ジョン・ボウリング総督を揚子江口まで送った。・・・南京と上海のほかに、サー・ジョンは日本をも訪問したいと望んでいる。
 ロシア人はすでに日本に到達し、なんらかの条約を結んだと伝えられる。ロシア人の朝鮮での殖民も近づき、彼らにとって日本との友好関係の樹立は、たいへん重要であろう。

 すでに宣戦のあった以上、われわれは、これらの地域からロシア人を駆逐しなくてはならない。アメリカ人はすでに日本人に説いて、彼らの排他的な反社会的慣習をいくぶんゆるめさせた。彼らは丁重に応援を受け、1マイルに及ぶ鉄道[実は模型]や有線電信を敷設し、幾千の観衆の目をみはらせた。アメリカ人のこうした精力的な活動は大いに信用を博するに値するが、だからといって彼らに貿易の独占を許してはならない。
 合衆国の快速警備艇ヴァンダリア号がこのほど日本から到着した。ペリー提督もいた。条約はかなりうまく進行していた。ひとつの港が開かれ、もうひとつも18ヶ月以内に開かれるはずである。・・・・
 
英国艦隊の日本到着
1855年1月13日号
 9月7日英国軍艦ウィンチェスター号、蒸気艦エンカウンター号、バラクーダ号およびスティクス号は、日本の長崎港外に投錨した。・・・
 数艘の小船が、おのおの12人の男たちを乗せてきて、港のはるか外で艦隊と遭遇したが、おのおのそのへさきにある木造の屋根の上に、2、3人の男が立って、竹を通したさまざまな白旗を振っていたが、それは艦隊を追い払いたがっているように思われた。・・・・
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posted by 小楠 at 07:09| Comment(2) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本B