2007年05月20日

江戸中期の日本評4

 今回ご紹介しているのは、スウェーデン人ツュンベリー著の「江戸参府随行記」です。日本についての外国人ならではの面白い表現を抜き出して掲載していきます。
 ツュンベリーは植物学者そして医学博士で、東インド会社所属のオランダ船に員外外科医として乗船し、1775年(安政四年)8月13日、オランダ船の主任医官として長崎に来航しました。この年は、杉田玄白らの訳で有名な『解体新書』が出版された翌年にあたります。
「江戸参府随行記」にある今から230年前にツュンベリーが見た「日本及び日本人」の章から。
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引用開始
宗 教
 宗教に関しては、すべてが異教徒である。日本の宗教は、宗派の数が多く、かつそれぞれ異なっているが、互いに反目や論争もなく、大きくまとまり調和しつつ共存している。宗教上の皇帝である天皇は、ローマ教皇のように寺社の長であり、最高位の宗教職を任命する。
 各宗派には各々の寺社と偶像がある。だが多くの場合、その像は不恰好である。一般には、古代ギリシャ人やローマ人のように、ほとんど職業の数ほどに多くの偶像を創りだした結果、有名無名の神々ができてしまった。日本人はすべての神々のなかで最も偉大なる、永遠にして全能の神の存在を知らないことはないのであろうが、それについての知識は非常に少なく、すっかり迷信にとらわれている。・・・・
 どの寺も外国人を締め出すといったことはなく、オランダ人でも訪ねることができる。また小さな町だと、宿屋がいっぱいであるような場合には外国人でも宿泊させる。私は、参府の旅でそのようなことが一度あった。・・・・

 キリスト教の素早い布教によって、ポルトガル人は思いあがってしまった。そして彼らの貪欲さや高慢さによってみずからを転落させてしまうまでに、そう時間はかからなかった。・・・・もしポルトガル人が慎重に、かつ温和に振舞えば、おそらく彼らに対して始められていた迫害は打ち切られたであろう。だが反対に、彼らの高慢さと日本人に対する支配欲は増加したのである。・・・・・・
 その上に、なんとポルトガル人が将軍をその王位から追いやるために企てた反逆行為が発見されたのである。その当時、オランダ人がポルトガル人と戦って奪い取った一隻の船に、「モロ」という名前の日本人船長からポルトガル国王に宛てた手紙があった。そこには、将軍の生命と王位に抗する陰謀がしたためられていた。そしてこの反逆行為は、その後このモロがマカオに宛てて書いた他の手紙により、一層確かなこととされたのであった。(これらの詳細は不明であるが、当時は豊臣秀吉の治世であり、記述には矛盾がある。また事件の概要は異なるが、1596年にはその後のキリシタン弾圧を強化させることになるサン・フェリペ号事件が起きている。)・・・・・

 それからはキリスト教が国内へ再びもたらされることのないよう、最も強力なる措置を講じ、ポルトガル人全員に日本沿岸への寄航を厳禁した。そして、日本人キリスト教徒が国のどこかにまだ潜んでいないかを、念には念を入れて探し出すためにいくつかの対策を講じた。その一つである絵踏みが、今日でも毎年初頭に長崎やその近隣地域において、その名残を留めているのである。
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posted by 小楠 at 10:29| Comment(2) | TrackBack(0) | 書棚から真実を