2007年05月10日

支那事変南京陥落

当時の出版物に見る南京入場

参考記事
 支那の大嘘と朝日新聞のため、未だに問題となっている南京戦について、
 南京陥落から約八ヶ月後の昭和十三年八月から、事変の経緯と支那各地の知識を解説した内容を現地将兵に頒布するため「支那事変 戦跡の栞」という本が、上中下三巻で発行されています。幅広の手帳サイズの本ですが、支那事変の推移を詳細に記録しており、今回はその中巻にある南京陥落から、昭和十二年十二月十七日の南京入場式に至る部分を掲載してみます。
 中国はこの時点から六週間に亙ってとされる、例の大虐殺の嘘を世界にばら蒔いていますが、これのどこに虐殺してる暇があったのでしょうかね。
六週間で三十万人ということは、一睡もせず徹夜で毎日七千人以上殺して、その死体を運んで埋める等の処理、一方では入城式の準備やインフラの修繕作業も同時に実施。物理的にも不可能でしょう。
いいかげんにしろ!中狂と浅卑新聞!!
(字が小さく古い本なので、漢字の読取が間違うかも知れませんが、大抵は地名などの固有名詞の場合が多いので、ご容赦下さい)
nankin005.jpg

引用開始
[敵毒ガスで逆襲]
 十日夜半より早暁にかけて、光華の伊藤部隊正面に大逆襲し来った敵は、城壁を奪回せんと、必死の勢い物凄く手榴弾、機関銃の外、催涙弾を雨注し来り、我が将兵は直ちに防毒面をつけて応戦、一時は非常な苦戦に陥ったが、肉弾戦を以て之を撃退したのである。

[長江北岸奇襲]
 九日當塗を占領した長野、山田両部隊は十日夜陰に乗じて、一挙に揚子江を渡り、奇襲をもって北岸に上陸、十一日払暁烏江の敵を急襲して之を占領、息つく間もなく省境を越えて江蘇省に進入した。これが為、南京籠城の敵が唯一の血路と恃んだ最後の退路も遂に遮断され、南京六万の敵は完全に我が包囲下に陥ったのである。

[南門撃破]
 わが新鋭部隊の先鋒長谷川部隊は、十二日午後零時十分、南京城中華門(南門)を破り、城内に突入して、城内到る処に壮烈なる市街戦を展開したが、緒方敬之中佐の一隊によって、南門は占領されたのである。続いて岡本(保)部隊も、中華門に突入したのであった。

[南京完全占領]
 かくてわが南京城攻撃軍は、十三日夕刻南京城を完全に占領したのである。江南の空澄み日章旗は城頭高く夕陽に映え、皇軍の威容は紫金山を圧した。
 かくて南京は世紀の感激の裡に見事陥落したが、各部隊は城内の残的掃蕩と、市内整理に当ったのである。この南京攻略戦で失った敵兵は、六万を下らぬと推察された。
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posted by 小楠 at 07:11| Comment(2) | TrackBack(2) | 書棚の中の支那事変