2007年05月08日

支那事変南京総攻撃3

当時の出版物に見る松井大将の投降勧告文

 支那の大嘘と朝日新聞のため、未だに問題となっている南京戦について、
南京陥落から約八ヶ月後の昭和十三年八月から、事変の経緯と支那各地の知識を解説した内容を現地将兵に頒布するため「支那事変 戦跡の栞」という本が、上中下三巻で発行されています。幅広の手帳サイズの本ですが、支那事変の推移を詳細に記録しており、今回はその中巻にある南京総攻撃の部分から、昭和十二年十二月九日の松井大将の南京司令官宛の投降勧告文の内容と、南京陥落直前の模様を掲載してみます。
(字が小さく古い本なので、漢字の読取が間違うかも知れませんが、大抵は地名などの固有名詞の場合が多いので、ご容赦下さい)
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引用開始
[皇軍、最後の投降勧告]
 南京は既にわが掌中に在ったが、九日正午松井最高指揮官は、南京防衛司令官唐生智に対し、二十四時間の期限を付し、十日正午迄に降伏するよう、情理を尽した投降勧告文を飛行機より投下して、光栄ある日本武士道の精神を内外に示したのであった。

【勧告文全文】
 日軍百万既に江南を席巻せり、南京城は将に包囲の中にあり、戦局大勢より見れば今後の交戦は只百害あって一利なし、惟うに江寧の地は中国の旧都にして民国の首都なり、明の孝陵、中山陵等古跡名所蝟集し、宛然東亜文化の精髄の感あり、日軍は抵抗者に対しては極めて峻烈にして寛恕せざるも無辜の民衆及び敵意なき中国軍隊に対しては寛大を以てしこれを冒さず、東亜文化に至りてはこれを保護保存するの熱意あり、しかして貴軍にして交戦を継続せんとするならば、南京は勢い必ずや戦禍を免れ難し、しかして千載の文化を灰燼に帰し、十年の経営は全く泡沫とならん、よって本司令官は日本軍を代表し貴軍に勧告す、即ち南京城を和平裡に開放し、しかして左記の処置に出でよ。
大日本陸軍司令官
松 井 石 根

本勧告に対する回答は十二月十日正午中山路句容道上の歩哨線において受領すべし、もしも貴軍が司令官を代表する責任者を派遣する時は、該処において本司令官代表者との間に南京城接収に関する必要の協定を遂ぐる準備あり、若しも該指定時間内に何等の回答に接し得ざれば日本軍は已むを得ず南京攻略を開始せん。

 松井最高指揮官の武士道的見地から礼を尽した勧告文に対し、唐生智は非礼にも回答期限たる十日正午に至るも何等の回答を為さざるのみか、却って十日早朝来猛烈なる砲火を以て我が軍を攻撃応酬しつつあったのである。ここに於て我が軍は十日午後一時遂に総攻撃を実行することに決し、砲兵の全力を以て砲撃を開始すると共に、全線一斉に進撃を開始して、南京城を圧するに至ったのである。
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posted by 小楠 at 07:36| Comment(3) | TrackBack(0) | 書棚の中の支那事変