児島襄著「史録 日本国憲法」をご紹介しています。奥付には昭和四十七年第一刷、昭和五十年第六刷となっています。
この本の最後の部分に、著者は『どのような憲法論議を進めるにあたっても、先ずは「日本国憲法」の成立の事情を明らかにすることが、出発点と思われる』と書いています。
今回の引用は、いよいよ日本側の改正案の否定と民生局側の憲法改正案の提示の部分になります。
画像は右から吉田茂と白州次郎

引用開始
昭和二十一年二月十三日、水曜日
松本国務相は、午前九時半、麻布市兵衛町二丁目八十九番地の外相官邸に到着した。前日、ホイットニー准将から午前十時に憲法改正問題について会談したい、と申し入れがあり、外相官邸を会合場所に指定したからである。
総司令部側は、民生局長ホイットニー准将、局次長ケーディス大佐ら数人で、非公式会談とのことなので、日本側は、松本国務相のほかには吉田外相、終戦連絡事務局次長白州次郎と長谷川通訳が参加することにした。
松本国務相は、英訳文を提出しておいた憲法改正「要綱」と二つの説明書の原文を持参した。吉田外相は官邸に住んでいたので、松本国務相が着いたときは、すっかり身支度して待っていた。白州、長谷川両氏もいた。吉田外相は、「きょうはよい天気だから、庭で話したほうが気分もなごやかになるだろうと思って、ポーチに座を用意した」と、松本国務相を案内した。・・・・
ホイットニー准将は、きっちり午前十時に、軍用色に塗った45年型フォードに乗って、外相官邸にやってきた。ケーディス大佐とハッシー、ラウェル両中佐が一緒であった。・・・・
ホイットニー准将は、吉田外相の松本国務相紹介が終ると、松本国務相によれば「えらい威張った顔をして」、ケーディス大佐たちの記録によれば「一語一語念をおすように」話しはじめた。
「最高司令官は、先日あなた方が提出された憲法改正案は、これを自由と民主主義の文書として受け容れることはまったく不可能だ、といわれた・・・」
ホイットニー准将はゆっくり話したので、松本国務相にも発言は理解できた。吉田外相が愕然とした様子で顔をこわばらせると、松本国務相の細い眼が固定し、頬が紅潮した。白州、長谷川の二人も、眼をみはった。
「しかしながら、紳士諸君、日本国民が過去の不正と専断的支配から守ってくれる自由で開放的な憲法を必要とすることを理解している最高司令官は、ここに持参した文書を、日本の情勢が要求している諸原則を具現しているものとして承認し、私にあなた方に手交するよう命じられた・・・」
ホイットニー准将はそういうと、ハッシー中佐にアゴで合図した。中佐はカバンから、一束の書類を取り出した。・・・・
白州次郎がハッシー中佐のさしだす受領書にサインしている間に、ホイットニー准将は、「6」を吉田外相、「7」を松本国務相、「8」を長谷川通訳に渡しながら、いった。
「では、紳士諸君、この文書の内容については、あとでさらに説明するが、あなた方が読んで理解できる時間を持つために、私と私の部下はしばし退座することにする」
総司令部の記録によれば、松本国務相たちはよほどの意外感におそわれたとみえて一言も発する者はなく、とくに「吉田氏の顔は、驚愕と憂慮の色を示し・・・この時の全雰囲気は劇的緊張に満ちていた」とのことだが、ホイットニー准将がケーディス大佐らをうながして、庭に出ると、とたんに米爆撃機B25が一機、低空で頭上を走りすぎ、爆音が外相官邸をゆるがした。・・・・
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