2007年04月20日

嵐の中の灯台

「嵐の中の灯台」という本があります。副題で、「親子三代で読める感動の物語」となっていますが、内容は主に児童向けの徳育の本という主旨で作られたもので、明治時代の「国語読本 高等小学校用」、「尋常小学読本」や、大正時代の「尋常小学国語読本」、戦前昭和の「小学国語読本」、戦後の「国語」などに採用されていた物語を、現代風にリメークしたものとなっています。
この本の「あとがき」の部分を引用してみますので、興味のある方は是非親子で読まれたらいかがでしょうか。
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引用開始
 思えば戦前の教育の世界は、今では遠い彼方に去ってしまったようです。昭和二十年八月、終戦の日を境に、日本人の心の流れは、戦前と戦後の二つに見事に分断されてしまって、すでに五十年を過ぎる日々が経ちました。だが一体それでいいのか。このところ連日報じられている教育界の惨状、目を蔽いたくなるような少年による凶悪犯罪の続発、それは日本人ガ日本人としての自己を見失った、言葉をかえれば自らの歴史を失った民族の悲劇という他はないように思われます。とすれば、この混沌とした時代であればあるほど、いま私たちの視界から消えてしまった戦前の教育を蘇らせて、それを私たち自身の目でもう一度見直し、戦前と戦後の断絶を埋めるべき時がきているのではないか、そう思われてなりません。

 とはいえ、戦前の教育といえばすぐに心に浮かぶ「修身」という言葉一つをとりあげてみても、多くの人はいかにも古めかしい、干からびた道徳教育、冷たい道徳という枠の中に子供たちをはめこむような印象を受けるにちがいありません。
 もっとも一部の教師たちによって、そう思われても仕方のないような授業が行われたのも事実でしょう。しかし多くの教師は決してそうではなかった。たしかに「修身」の教科書の目次には「忍耐」とか「礼儀」とか、そういう徳目が並べられていました。
 だがそれぞれの項目には、それらの徳目を身を以て生きた先人たちの、胸迫るドラマが描かれていたし、先生方はそのドラマの中に溶けこんで、子供たちの胸に、人間の真実がどういうものかということを、強烈に語りかけられました。こうして「修身」の授業は勿論、「国語」の授業でも、「歴史」の授業でも、当時の子供たちは、小学校の低学年の頃から、数多くの人生の美しい姿にふれながら生きてきたのです。暗黒に閉ざされた教育、そういう戦前の教育に対する思いこみは、戦前の日本人の生き方を真向から否定しようとした占領政策のなせるわざにすぎなかったというべきでしょう。

 であれば、このような戦前の教育へのいわれのない不信感を拭い去って、戦前と戦後を貫く一本のバイプを通すこと、それがいま何よりも強く求められているのではないか。私たちはそういうおもいをこめて、明治の半ばから終戦直後までの「修身」と「国語」の教科書の中に埋もれていた十八篇の物語をとりあげて、この一冊の書物を編集しました。もっとも原文のままでは、現在の子どもたちには難解の個所も多く、適宜、筆を加えたところもありますが、当時の教科書のもつ雰囲気を直接味わっていただき、これらの文章を教材として、「人生」を学んだ子どもたちと共感の場をもっていただきたいのです。
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posted by 小楠 at 07:29| Comment(5) | TrackBack(1) | 教科書に見る日本