2007年04月19日

グラント将軍の助言

岩倉具視や閣僚との会談と助言

 アメリカ南北戦争で勇名をはせ、戦後は大統領を二期つとめたユリシーズ・シンプソン・グラント将軍(1822〜85)は、1879年6月に長崎に来航、国賓として約二ヶ月半日本に滞在しました。
この本は随行した書記のJ・R・ヤングの著です。
「グラント将軍日本訪問記」から、帰国を前に岩倉具視や日本の閣僚との会談中のグラント将軍の助言を引用してみます。
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引用開始
 日本におけるわれわれの最後の日々は、個人的かつ公の性格を帯びた出来事で満ちあふれていた。個人的という言葉を用いるのは、新聞にも出ず、まして世間にも知られなかった出来事について語るためである。
 閣僚がひっきりなしにグラント将軍を訪れた。岩倉氏はよく訪れた方だが、公務について、特に話をするためであった。
 琉球問題について話し合われた時、グラント将軍は日清両国の協調促進のために精いっぱい努力した。これらの会談の成果について語れるのは歴史だけだが、一言言い添えておくと、グラント将軍が岩倉氏や閣僚と会談したさいに述べた助言は、きちんと文章化され、恭親王や李鴻章に伝えられた。
 琉球問題に関しては日清両国からそれぞれの言い分を聴けば、清国においてこの国の言い分だけを聴いた時よりも正確に話ができる、とグラント将軍は考えた。

 まだ他にもいくつかの問題が持ち上がっていた。それは日本の産業や農業と係わりのある問題である。グラント将軍は、広大な未開墾の肥沃な土地に日本の友人たちの注意を向けさせ、全土を開発する気にさえなれば、国の富と収入がどれほど増大するか、を指摘した。
 話はそこから、国民にとって大きな重荷となっている、政府としても税収入をあげるためにはやむをえない、地租に移っていった。もし政府が、ドイツやフランスのように地租を取り立てずに収入関税を徴収できれば、地租を下げることができるのである。

 話はさらにそこから、日本の政治の中で多年の懸案となっていた条約改正へと向っていった。
 条約改正の問題は、岩倉氏が使節となって何年か前に条約国に赴いたときから、一向に進展していない。将軍は、条約問題では常に同じ意見を述べてきた。イギリスが東洋においてとっている政策のうちでおかしな一面は、関税を各植民地の裁量に任せているのに、自由貿易と保護貿易を行う段になると、日清両国はイギリスの貿易に役立つように、税や関税を決めねばならぬと主張する。言い換えれば、日本は独立国であるにもかかわらず、脅迫されているのであり、カナダやオーストラリアなら決してそのような恫喝に屈することはあるまい。
 条約が存続する間は異常な状態がつづくであろうし、イギリスは条約に認められている最高の権利を放棄するそぶりを見せてはいない。グラント将軍が与えた忠告は次のようなものであった。
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posted by 小楠 at 07:39| Comment(2) | TrackBack(0) | 書棚の中の人物