2007年04月13日

グラント将軍長崎来航

グラント将軍の演説

 アメリカ南北戦争で勇名をはせ、戦後は大統領を二期つとめたユリシーズ・シンプソン・グラント将軍(1822〜85)は、1879年6月に長崎に来航、国賓として約二ヶ月半日本に滞在しました。
この本は随行した書記のJ・R・ヤングの著です。
「グラント将軍日本訪問記」から。
画像は当時の長崎
nagasaki01.jpg

引用開始
1879(明治十二年)6月21日
・・・・リッチモンド号は丘陵の間を汽走し、やがて錨を下ろした。まだ早朝のことであった。冷たい魅惑的な緑が水面に影をおとしていた。丘陵の斜面にある長崎は、居心地がよいうえに美しく思われた。そして日本の町を見るのはこれが初めてのことでもあったので、われわれ望遠鏡でよくよく眺め、あらゆる特徴を研究したのである。風景とか絵のように美しい長崎の町の特質とか。
 頂上まで連なるひな段のような丘陵とか、いま耕作中の土地とか一風変わった珍しい家やおびただしい数の旗などを。――この旗によって、われわれがやって来ることを市民がすでに知っており、歓迎の準備をしていることがわかった。波止場には大勢の群集が整列し、また手すきの市民はふつうアメリカの帝として知られている国賓を一目見ようと待っているのにわれわれは気づいた。

 やがてリッチモンド号は日本の旗を掲げると、日本に敬意を表すために二十一発の礼砲を放った。砲台もこれに答え礼砲を発射した。今度は日本の軍艦や砲台からアメリカの国旗がするすると掲げられ、グラント将軍に敬意を表して二十一発の礼砲が放たれた。
 駐箚アメリカ領事のW・P・マンガム夫妻が艦にやって来た。まもなく目もあやな大礼服をまとった伊達候[伊達宗城]と吉田氏[吉田清成]と県令[内海忠勝]らを乗せた座艇がやってくるのが見えた。これらの高官は十分な敬意をもって遇され、艦長室に案内された。伊達候は、天皇の代理としてグラント将軍を出迎え、歓待いたすよう、また将軍が日本にご滞在中は、天皇の名代としてお世話するように、といった勅令を受けたと語った。この言葉がどれほどの意味を持つものであるかは、伊達候が最も身分が高い華族の一人であることによってもわかるのである。・・・・・・

 吉田氏は駐米公使としてよく知られており、利口なりっぱな人物である。彼はこの国の新興政治家の一人なのである。グラント将軍の大統領時代に吉田氏は駐米公使としての信任を得、将軍の知遇をうけていたので、日本政府は彼を帰国させ、接待に当たらせることにしたのである。・・・・・・
 二十三日の夜に長崎県庁で盛大な晩餐会が催されたが、そのおり、グラント将軍のスピーチがあった。グラント将軍の演説は東洋の諸国でいろいろと論議を呼んだようなので、ここに全文を掲げる。・・・・・
グラント将軍は立ち上がり、次のように述べた。
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posted by 小楠 at 07:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚の中の人物