2007年04月12日

支那人の特質を知る5

弄策、虚偽、猜疑、忘恩

 昭和十三年八月から、支那事変の経緯と支那各地の産業、観光地等の知識を解説した内容を、現地将兵に頒布するため「支那事変 戦跡の栞」という本が、上中下三巻で発行されている幅広の手帳サイズの本です。
今回はその上巻の最後の方にある中野江漢の「支那の話」という部分から、支那について、昭和十三年(1938年)当時の人々の支那人に対する見方が書かれているところ、最後の部分を引用してみます。
今回で支那人の特質の引用は最終回になりますが、対中外交交渉は、このような支那人の特質を熟知した専門家にやって欲しいものです。
画像は当時の国際都市上海
shanhi.jpg

引用開始
 戦乱に次ぐ戦乱を以てする支那は、その間に誇大な宣伝や、反間苦肉[仲間割れをさせるため、自分の身を痛めつける]の計が行われ、あらゆる「術策」が行われた。術策は「欺瞞」の第一歩で、知らず識らずの間に「嘘つき」となり「誤魔化す」ことに興味をもつようになり、果ては「盗み」が茶飯事となった。
 支那の政治家や軍人は、内に於ては売国的行為を敢えてなし、民を誤魔化して財を得、外に向っては友邦を欺き、誤魔化し、外交の不信を招き、国交を害する
 
 下級な僕婢の総ては、嘘をつき、誤魔化し、盗みをする。権謀詐術を用いて、欺瞞し、虚構をこととする結果は、人の言動に対し、常に「猜疑」の眼を以て接することとなる。猜疑を常性とするから「誠意」を欠き、人を「信用」せぬ。互に信用せるように見ゆるのは、互いにこれを「利用」して居るので信用ではない。利用し尽した暁には棄てて顧みない、恰も相識らざるもののようである。若し利用し尽した後にも、なお多大の好意を継続するものがあるとすれば、それは世間体を繕う方便か、さもなくば従来の関係上已むなく情実的好意を標榜するに過ぎないのである。

 こんな風で支那では、真実の信用は皆無といってよい。そこで血縁、地縁、職業団体の信用が必要となり、義兄弟の盟約が重視されるのである。これ等の特殊関係の信用に至っては驚くべきまでに徹底不動である。
 利に結び、害に離るる者に、恩を知り、徳を解するはずがない。支那人が人に恩を施すは、利用の手段に外ならぬから「偽恩」である。
 例えば支那人が、乞食に物を与うるは、乞食そのものを憐んで与うるのではなく、自分の不徳をその喜捨によって補わんとするだけである。若しそうでなくとも、その施恩によってその人は必ず善果があると信じて居る。
 そこで支那の乞食は物を貰うまでは哀願するが、貰ってしまえばケロリとする。彼等にいわすると「人に善をなさしめた」というそうすると、乞食に与えた者は、乞食によって「善をなし」与えられた乞食は、自分[乞食]ありしがために、人をして「善をなさしめた」ことになるから、結局は五分五分である。「恩」のあるべき筈がないのである。

 斯ういう考は、支那では是認されて居る。支那人に「報恩の観念」がないのは、斯ういう風に観て置けば間違いはない。生一本の日本人が、よく「支那人は我の親切を親切と思わぬ」とか、支那人は恩を仇で返す」と、しばしばいうが、支那人に言わしむれば、恩を受けた時に感謝の意を表して居る。恩を受けつつある間は、恩人として敬意を表して居る。それで「報恩」は勘定済みである。報恩は永続的のものではない。若しこれを永遠に求めんと欲するは「恩の押売」である「報恩を強ゆる」ことになる。
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posted by 小楠 at 07:46| Comment(4) | TrackBack(0) | 書棚の中の中国