2007年04月11日

支那人の特質を知る4

宣伝、無主義、妥協、雷同

昭和十三年八月から、支那事変の経緯と支那各地の産業、観光地等の知識を解説した内容を、現地将兵に頒布するため「支那事変 戦跡の栞」という本が、上中下三巻で発行されている幅広の手帳サイズの本です。
今回はその上巻の最後の方にある中野江漢の「支那の話」という部分から、支那について、昭和十三年(1938年)当時の人々の支那人に対する見方が書かれているところを引用してみます。
対中外交交渉は、このような支那人の特質を熟知した専門家にやって欲しいものです。
画像は日本軍を歓迎する支那人たち(保定にて)
hotei.jpg

引用開始
 文弱に流れ、腕力の争闘を好まぬかわりに、「口先の喧嘩」は達者である。支那人の「口論」を側で聞いていると、今にも火花を散らす大格闘が行われるかと思われるが、口先ばかりで手出しをせぬ。支那では人の群集する場所には、必ず「禁止喧嘩」の掲示があるのを見ても、如何に喧嘩が多いかがわかる。
 その喧嘩の時には、相手方に向っていうことを周囲近傍に聞えよがしに叫ぶ、夫婦喧嘩でも内密ではやらぬ、庭の中央に出て大声で叫ぶのである。お互いに背中合となって叫び合って居ると、必ず仲裁にはいる者がある。そこで直ぐ「妥協」してケリがつくのである。

 怯懦、文弱となった支那人は、口先ばかり達者となり「宣伝」が巧くなった。支那の外交でも、戦争でも、先ず「宣伝戦」で勝を占めようとする。
 支那人は、口先や文章で堂々と主義を唱うる者があっても、腹の底には確固たる主義を有する者は殆ど無いとみて差支えない。勢い窮すれば、その主義を変じ、勢いに付せんがためにも亦、其の主義を改むる。一身の利害のためには、主義や節操を放擲して「苟合妥協」を濫用して恥ずるところを知らぬ。支那に「両面」と「詭随」という言葉がある。何れも旗色のよき方に妥協屈服して反覆常なきをいうのである。支那人は、その個人たると国体たるとを問わず、自己保全の方法として、好んでこの「両面詭随」を平気で慣用するのであるから、油断ができぬ。

 腹の底に確固たる主義がなく、口元ばかりで主義を標榜するだけでも、なお支那人としては上々の方である。国民一般は「無主義」で、ただ勢いに付して喧噪し、運よくば其の間に利益を占めようとする者ばかりである。一人これを唱うると万人忽ち之に和し、宛然主義に合し、団結を造るような現象を呈するが、これは「雷同」であって、その裏面には何等の実質がない。その輿論や団結は、国家本位でなく、自己本位の雷同であるから不利の時には忽ち変じ、目的を達し得ると思えば益々その雷同性を増加するのである。
続きを読む
posted by 小楠 at 07:13| Comment(2) | TrackBack(0) | 書棚の中の中国