2007年04月10日

支那人の特質を知る3

支那の国民性

 昭和十三年八月から、支那事変の経緯と支那各地の産業、観光地等の知識を解説した内容を、現地将兵に頒布するため「支那事変 戦跡の栞」という本が、上中下三巻で発行されている幅広の手帳サイズの本です。
今回はその上巻の最後の方にある中野江漢の「支那の話」という部分から、支那について、昭和十三年(1938年)当時の人々の支那に対する見方が書かれているところを引用してみます。
対中外交交渉は、このような支那人の特質を熟知した専門家にやって欲しいものです。
画像は天津の日本租界
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引用開始
 支那の国体、風土、政情、社会、種族を知ると共に、是非研究して置かねばならぬことは、その組織の根本である国民の特性である。・・・・
 では「支那の根本思想」とはどんなことかというに、天を敬う思想である。これを「敬天思想」とか「拝天思想」とかいう。天を敬うとは、「いろいろに解釈されているが、ごく簡単にいうと、天は万物の創造主、万物の産みの親である。人間も亦天が造ったものであり、天の恵みによって生存しているのである。そこで天には絶対の感謝と敬虔とをもって服従しなければならぬ。これは子として親に対する当然の義務である」というのである。敬天思想は、ここにもとづいて起ったものである。

 子としての人間は、生みの親である天に対して絶対に服従するが、親である天はどういう方法を以て、子たる人間に対して親の義務を果たすかというに、天は、子である人間の生存に必要なるものを与え、これを愛護して、その発達成長を計るのである。しかし、天は「無形の神」である、「無形の父母」であるから、「有形の人間」に対し、自ら己の手をもってこれを支配し、これを教え導き、帰趣標準を与えて、その成長進歩をはかることができない。そこで、天は万民の中から「天の代表者」を見出し、この代表者をして、万民を支配せしむることになる。この天の代表者が、支那の「君」である「皇帝」である。君は天に代わって万民に対し、親たる義務を尽すのである。

 然らば、どういう方法で、天はその代表者である君を見出すのかというと、「符瑞」といって瑞祥を現したり、「感生」といって、天の感じを受けて生れるというような、いろいろの方法がある。これは支那の歴史を読むと明らかである。そうすると、天の代表者である「君の資格」はどうかというに、「天の道は正しいものである。そこで天の代表者となるには、正しい天の道、天の徳と合体した人間の中で、最上の有徳者でなければならぬ」のである。これに適った者が君となり、「君は天の父母に代わって、人間界に於て、父母たるの道を行う」ことになるのである。
 そこで、君主の政事は即ち天帝の政事となり、君主の言は即ち天の言であり、天の訓となるので君主一家の私の言ではないことになる。そこで人民は、当然「君主の命は天の命として服従し、これに順行」していかねばならぬこととなる。要するに、君命に服従するは天命に服従することになるのである。
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posted by 小楠 at 07:20| Comment(4) | TrackBack(0) | 書棚の中の中国