2007年04月06日

支那の話

日本と支那の関係

 昭和十三年八月から、支那事変の経緯と支那各地の産業、観光地等の知識を解説した内容を、現地将兵に頒布するため「支那事変 戦跡の栞」という本が、上中下三巻で発行されています。幅広の手帳サイズの本です。
 今回はその上巻の最後の方にある中野江漢の「支那の話」という部分から、今と同じように、当時の日本と支那の疎隔の原因についてのところを引用してみます。現在にも参考になるのではないでしょうか。
(字が小さく古い本なので、漢字の読取が間違うかも知れませんが、大抵は地名などの固有名詞の場合が多いので、ご容赦下さい)
nakano.jpg

引用開始
【日支疎隔の責は何れにあるか】
 然らば、日支の疎隔は、支那側の主張するが如く、其の責、日本にのみあるかというとそうではない。私をして忌憚なく言わしむれば、その最大原因は、日本側よりも寧ろ支那側に存すると思う。即ち、

[一]日本に対する嫉妬心に因づく。
 支那人は、日本の国運隆興に対して、常に嫉妬心を懐いて居る。彼等は日本の国力発展を呪詛せぬまでも、断じて歓迎せぬ。一体支那人は、個人としても甚だ嫉妬心が深く、猜疑心が強い。これが一つの国民性となって、男女、君臣、父子の間柄でも、常に嫉妬と猜疑に終始して居る。そこで、過去数千年間、東洋の盟主国として、先進国として国際間に重きを置かれた支那が後進国である日本のために凌駕せられて、その後塵を拝せなければならぬような境遇に立ったので、自負心と嫉妬心の強い彼らが、日本に対し好意を持たぬのは当然である。
 それが領土が接近し、同文同種というのが返って悪い結果を生んだ。猜疑や嫉妬は、多く近親の間に生じて疎遠の裡には起らぬ。個人の場合でも、零落して行く本家は、分家の繁栄を嫉妬し、分家の忠言には兎角耳を貸さず、却って他人の勧告に従い、その伝来の家宝を手放す際にも、之を熱望する分家よりも却って他人に売払うのが人情である。この理から推して考うれば、支那人の心裡がよくわかる。

[二]日本に対する猜疑心に因づく。
前項で述べたように、日本の支那に対する行為を総て侵略的と猜疑する。甚だしい誤解である。この誤解より「排日」運動が起った。

[三]「以夷制夷」政策に因づく。
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posted by 小楠 at 07:14| Comment(6) | TrackBack(1) | 書棚の中の中国