2007年03月27日

支那に先行される外交

軍事行動と外交工作の跛行(バラバラなこと)

 大東亜戦争前の昭和十二年に武藤貞一著「英国を撃つ」という本が出でいます。これは先日、西尾幹二氏がチャンネル桜のGHQ発禁図書関係の番組でご紹介されていたものです。当時のベストセラーだったようで、大戦前の日本の風潮をよく現しているのではないでしょうか。
 ここは、丁度現在アメリカで行われている日本非難の宣伝戦を意識して、支那事変当時も同じように外交宣伝下手な日本であったことを見てみます。
支那は昔から、嘘、捏造宣伝で世界の同情を煽ってきたことがよく判ります。
(旧仮名使いや漢字は現代風にして引用します)
参考記事

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引用開始
 日本はこれまで色々の形態のもとに対外行動を経過して来たが、それに付随する欠陥というものは決まって同じものだった。即ち軍の行動は国民によって全幅の支持が払われ、神速機敏を極めるにも拘わらず、そのあとを承る政治工作、それを掩護する外交工作は萎微として振わない。そこへ、よろずの集中射撃を蒙って、測らざる煮え湯を飲まされる結果となる。
 今度の支那事変こそ、政府が進んで挙国一致の体制を整え、十分の覚悟を定めてかかったから、国家行動の二人三脚にチグハグの欠陥を暴露することはないと思われた。然るにやっぱりこれが色々の形で現れたのは遺憾である。

 第一には宣伝不足という形で現れた。主として外交方面の手抜かりであるが、事変の当初、支那の勢いなお未だ盛んな際、第三国が比較的静かに事態の推移を眺めているのに安心してか、能動的に事変の真相を世界に宣伝することを怠ったといえないならば生ぬるかった。
 初めに支那側の宣伝が前の満洲・上海事変のときほど猛烈でなかったのは、大体この事変は支那側がイニシアティヴを取って起った事件だけに、たとえば上海の盲目爆撃といい、非戦闘員攻撃といい、彼よりも吾れに宣伝材料が多く、受身の立場に最初立ったものは支那側でなかったことに原因を発しているのだ。

 殊に上海の如きは、日本側に全然戦意なく、その戦意のないところをつけ目にして、彼は計画的に邦人皆殺しと居留地域占領を目指して事を構えたものであることは、上海に在る第三国人全部の内心認めているところであり、寡兵の陸戦隊がよくこれを支え得るかどうかを気遣わないものは一人もなかったといえよう。
 かかる日本側の苦戦状態に際し、支那側の宣伝が珍重されるはずがない。即ちこの時機において日本側が大いに宣伝して、機先を制し世界の世論を確立して置くべきだった。

 アメリカ人は比較的単純な国民性だけに、最初から日本側に理解を持っていた。故に早期において、このアメリカだけでも味方に引き入れて置くだけの外交工作が日本として是非必要だったのである。
 何といっても、いざという場合、日本にぶつかり得る実力を持つ国家はソ連とアメリカがあるだけで、爾餘の国々は少しも恐れるに及ばない。ただソ連がアメリカを誘い入れる策動だけが警戒されるのであって、それを除いては、他の国々が騒ぐとも蛙鳴蝉噪の類としていいのである。
 そのアメリカが日本に好意ある態度に出ていたのであるから、このくらい日本に取って好調子はなかったのだ。

 イギリスが自国の支那における利権に火がついたかの如く騒ぎ、ヒューゲッセン事件で強硬抗議を突きつけた頃、日本はアメリカの公正な態度に対して謝礼使節を送るか、国民的デモンストレーションの一つも催して大いにそれに答えるゼスチュアを為すべきだった。所詮両立すべからざるイギリスに向って大いに諒解を求めるの愚を演じ、せっかく好意を持ってくれるアメリカの方はいいことにして放って置くという拙劣極まる外交工作が、その後に来るものをどのくらい不利にしたか知れないのである。
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posted by 小楠 at 08:20| Comment(2) | TrackBack(0) | 書棚の中の戦争