2007年03月20日

明治の日本陸軍

古くから浸みわたっている民主的精神

 チェンバレンの著「日本事物誌1」は、「私は日本のことについて、常によく質問を受ける。そこで、その返事を辞書の形にして――単語の辞書てはなくて事物の辞書という形にして――本書をまとめたのである」という如く、事物毎の目次構成となっています。
英国人バジル・ホール・チェンバレンは、1850年生にまれ、1873年(明治六年)5月に来日、1905年(明治三十八年)まで三十年以上にわたり日本で教師として活躍しました。
「日本事物誌1」から陸軍についての部分を見ます。
画像二列目左から二人目が乃木大将、右がステッセル
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引用開始
 1600年から二世紀半の間、徳川将軍の強力な統治下において平和が続いたが、昔の軍事形態はそのまま維持されていた。それが明治天皇の治世の初頭(1868年)に突然、粉みじんに砕けた。このときフランスから軍事顧問団が招聘され、ヨーロッパ大陸の徴兵制度が導入されて、むかしの日本の騎士が身につけた、絵のように美しいが足手まといになる装飾に代わって、近代式の軍服が登場した。

 1877年(明治十年)薩摩の反乱(西南戦争)を鎮圧したとき、日本軍人は砲火の洗礼をあびた。日本軍人は日清戦争(1894〜5)において偉功を立て、外国の専門家たちを驚嘆させた。特に兵站部の組織は徹底的に行き届いたもので、峻烈な気候と貧しい国土にあって、敢然とその任務に当った。
 統率もまずく栄養も不良で、生れつき戦争嫌いの中国人は、逃走することが多かった。日本人の胆力を示す機会はほとんどなかった。しかしながら1894年9月15日の平壌の戦闘、続いて満洲に進軍し、同年11月に旅順を占領したのは注目すべき手柄であった。
 さらに1900年(明治三十三年)、北京救出のため連合軍とともに進軍した日本派遣軍は、もっとも華々しい活躍を見せた(北清事変)。彼らはもっとも速く進軍し、もっともよく戦った。彼らはもっともよく軍律に従い、被征服者に対してはもっとも人道的に行動した。

 日露戦争(1904〜5)は同様のことを物語っている。日本は今や、その大きさにおいては世界最強の軍隊の一つを所有していると言っても過言ではない。この事実には――事実と仮定して――さらに驚くべきものがある。それは、日本陸軍が作者不明(という言葉を使わせてもらえば)だからである。世界的に有名な専門家がこのすばらしい機構を作りあげたのではない――フレデリック大王も、ナポレオンもいない。それは、狭い範囲以外にはほとんど知られていない人びとが作りあげたものである。
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posted by 小楠 at 07:17| Comment(2) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本A