2007年03月17日

独立国台湾は自明の理

李登輝単独インタビュー

阮銘著「共産中国にしてやられるアメリカ」という本からご紹介しています。
阮銘氏は1946年十五歳で共産党に入党し、党中央宣伝部にまわされるが、文化大革命で辛酸をなめた。文革後胡耀邦に招かれたが、天安門事件を機に台湾に亡命、帰化し、台湾の民主化に情熱を燃やし続けています。
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引用開始
 クリントンと江沢民が密室で交わした会話のなかには、未公開の約束があった。クリントンの1995年8月の密書のなかにある「三つの不支持」を重ねて話し合ったことだ。
 自由の大国の元首が、奴役制度の独裁者とのあいだで、自由と民主の国、台湾の主権を犠牲にする取引を行うことは、チェンバレンとヒトラーがミュンヘンにおいてチェコを犠牲にした取引と、どう違うというのか。
 しかしながら、クリントンと江沢民は、台湾はチェコではなく、李登輝はチェコの大統領エドゥアルド・ベネシュでないとは予想だにしていなかった。
 李登輝がアメリカ在台湾協会主席理事のリチャード・ブッシュから、クリントン・江沢民の会談内容の簡単な報告を受けたその日(1997年11月6日)とその翌日、『ワシントン・ポスト』と『ロンドン・タイムズ』がつづけて李登輝に単独インタビューを行い、二つの特別記事はたちまち世界に報道された。そのなかで李登輝はこう述べている。

「われわれ台湾人民は、台湾が中国の一省であることに同意しない。台湾は台湾であり、われわれは一つの独立した主権国家です」(『ワシントン・ポスト』)

「台湾は北京を離れて自立しており、イギリスやフランスと同じように、一つの独立国家です」(『ロンドン・タイムズ』)

 これらを李登輝の「独立宣言」というなら、かぎ括弧をつけなくてはならない。というのは、李登輝は新たに独立の主張のたぐいを宣言しているのではなく、すでに自明の事実を述べただけだからである。これらの言葉は台湾に対する国際社会の無知を改めさせ、共産中国の歪曲を正し、共産中国の民主台湾に対する併呑を防止するものであり、不可欠かつ時宜にかなうものであった。・・・・・・・

 江沢民は李登輝から台湾を奪えないと見るや、クリントンに食い込み、クリントンを通じて李登輝を無理やり黙らせた。江はクリントンが「モニカ・ルインスキ・スキャンダル」に見舞われている機に乗じて、クリントンを中国に招待した(1998年10月の予定を6月に早めた)
 クリントンの訪中は九日間に及び、・・・しかもわざわざ中国一国だけを訪問し、同盟国である日本と韓国の訪問を断った・・・・
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posted by 小楠 at 07:17| Comment(4) | TrackBack(1) | 書棚の中の国際関係