2007年03月15日

米国対中戦略の転機

 人民を犠牲にしたカーターから逆転レーガンへ

阮銘著「共産中国にしてやられるアメリカ」という本からご紹介しています。
 阮銘氏は1946年十五歳で共産党に入党し、党中央宣伝部にまわされるが、文化大革命で辛酸をなめた。文革後胡耀邦に招かれたが、天安門事件を機に台湾に亡命、帰化し、台湾の民主化に情熱を燃やし続けています。
(トウ小平のトウを漢字にすると何故か文字化けしますので、トウとしています)
 特にアメリカに民主党政権が出来た場合には、日本はより真剣に情報戦も含めた国防体制を充実しておく必要は、現在の米国内における慰安婦問題や南京映画などで一目瞭然です。
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引用開始
 カーター政権の「連中制ソ」(中国と連携してソ連を抑える)政策は、中国指導者の貪欲さと権勢欲を満足させ、台湾人民の生存と自由の権利を犠牲にし、トウ小平のベトナムへの軍事侵攻を黙認するものだった。共産中国に対するアメリカ政府の軟弱さ、ベトナム侵攻で暴露された中国軍の劣勢が、ブレジネフを増長させ、憚ることなく軍事覇権を世界に拡張し、1979年末には無法にもソ連軍がアフガニスタンに侵攻したのである。

 1980年の大統領選で、ロナルド・レーガンが再任をめざすジミー・カーターを破って第四十代大統領に当選したことは、第三(革新保台)の民主化の波に新たな力を与え、台米中関係のトライアングル・バランスを含めてアメリカの戦略に転機をもたらした。・・・・・・
 トウ小平は二つの策略を採用した。一方の手で保守派の建議を受け入れ、外交部に「大きなアクションを起してソ連にシグナルを送り、中ソ関係を大幅に改善するように努力せよ」と指示した。もう一方の手で、レーガン政権内の「親中反ソ」官僚を利用して、「アメリカと連合して台湾に圧力を加える」カーター時代の戦略を継続した。トウ小平が選んだ対米「統一戦線」の対象は、レーガン政権の初代国務長官アレクサンダー・ヘイグだった。・・・・・

 アメリカの国家安全保障会議(NSC)は六月初めに、武器売却禁止リストから中国を外すには、二ヶ月間の秘密保持が必要であると決議していた。中国軍の増強に直面する日本、台湾、韓国など東アジアの盟友に覚書通知をしなくてはならないからだ。にも拘わらず、ヘイグは、トウ小平を喜ばせたいために、六月十六日のトウ小平との会談後の記者会見で、アメリカは中国に最新の武器を売却する用意があると公表してしまった。・・・
 共産中国の常套手段は、アメリカ政府内の意見の対立を利用して、交渉におけるみずからの立場を優位に置いて最大の利益を得ようとするものだ。ニクソン時代は大統領補佐官のキッシンジャーとウィリアム・ロジャース国務長官との意見の相違、カーター時代は大統領補佐官のブレジンスキーとバンス国務長官の意見の相違を利用した。1981年のヘイグ訪中後、トウ小平は、ヘイグ国務長官と、レーガンに近いアレン補佐官らのあいだで対中戦略の見方に相違があることを知った。

 トウ小平は、ヘイグ国務長官を利用して、台湾への武器売却問題で突破口を開くことが、米台関係全体の防衛線を動揺させる鍵だと考えた。トウ小平がカーター、ブレジンスキーとの勝負で勝ったのは、「断交、米軍撤退、条約破棄」の三手であった。次の一局を勝利に導く三手は、「武器売却停止、台湾関係法廃止、統一圧力」、すなわち台湾問題の最終解決である。・・・・
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posted by 小楠 at 07:16| Comment(2) | TrackBack(1) | 書棚の中の国際関係