2007年03月14日

台湾民主化と独裁中国

蒋経国の台湾生き残り策は民主化転換

阮銘著「共産中国にしてやられるアメリカ」という本からご紹介しています。
 阮銘氏は1946年十五歳で共産党に入党し、党中央宣伝部にまわされるが、文化大革命で辛酸をなめた。文革後胡耀邦に招かれたが、天安門事件を機に台湾に亡命、帰化し、台湾の民主化に情熱を燃やし続けています。
(トウ小平のトウを漢字にすると何故か文字化けしますので、トウとしています)
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引用開始
 トウ小平の包囲戦略に対して、最も力を貸したのはカーター政権だった。カーターは議会の圧力のもとで「台湾関係法」に署名したが、トウ小平の意に屈しており、「関係法」を遵守するつもりはなかった。
 カーターは表と裏の二つの手法をとった。議会を適当にあしらいながら、行政部門に機密のメモを通達して、台湾を封じ込めるトウ小平政権の覇権主義的要求を満足させた。そのメモには次のことが示されていた。

 アメリカの将校を含む上級官僚の台湾訪問を一切禁止する。アメリカ在台協会の駐在員と、台湾のなかの“敏感な”部門、すなわち総統府、行政院、外交部といった機関との公務の協議を禁止する。台湾駐米代表処の職員とアメリカの官庁との公務の協議を禁止する。また、アメリカの官庁や職員が台湾側に文書を送付するときは、機関名のついたレターヘッドの使用を禁止し、役人の名前を出してはならないとしたが、このような文書を「ノン・ペーパー」と言った。
 中国共産党の独裁者にしか考え出せない手管だが、カーター大統領はこのような禁止規定をすべて受け入れ、大統領の行政命令として米台両国の役人をこれに従わせた。・・・・・・

 蒋経国がトウ小平の「アメリカと連合して台湾に圧力を加える」包囲のなかで、勝に転じることができたのは、包囲突破のために打ったいくつかの手にあった。

一、蒋経国は「接触せず、交渉せず、妥協せず」の確固とした姿勢をもってトウ小平の「国共第三次合作」と「八十年代の統一スケジュール」に回答した。・・・・・
 蒋経国は、はっきりとトウ小平の「国共和平会談」提案を拒否しただけでなく、・・・・略・・・
 レーガン大統領宛の手紙で、共産中国は種々の手段を使って台湾を国際的に孤立させている。台湾は米中関係の邪魔者であるとして、アメリカが「台湾関係法」を破棄し、台湾に対する武器売却を停止し、台湾が平和統一の話し合いに応じるべく企図しているが、自分は絶対に共産中国と交渉しない決心であると訴えている。

二、行政当局の裏切り行為に対して、カーター政権を牽制し、台米間の実質的な関係を維持・保護するよう、議会や民意に訴えた。
 影響力をもつ人間をアメリカに派遣し、議員や各界の友人たちと今後の台米関係を話し合わせ、議会や世論に支持を訴えさせた。その結果、台湾の境遇に対して広範な同情と支持が得られ、カーターの間違った政策は厳しく批判された。
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posted by 小楠 at 07:26| Comment(7) | TrackBack(1) | 書棚の中の国際関係