2007年03月13日

クリントンの奴隷根性

自由の世紀における荒唐無稽な話

阮銘著「共産中国にしてやられるアメリカ」という本からご紹介しています。
 阮銘氏は1946年十五歳で共産党に入党し、党中央宣伝部にまわされるが、文化大革命で辛酸をなめた。文革後胡耀邦に招かれたが、天安門事件を機に台湾に亡命、帰化し、台湾の民主化に情熱を燃やし続けています。
(トウ小平のトウを漢字にすると何故か文字化けしますので、トウとしています)
 なお、現在同盟国である日本やトルコまで貶める決議をしようとしているのもアメリカ民主党議員であることを考慮に入れてご覧下さい。
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引用開始
 荒唐無稽なパフォーマンスはカーター大統領が始めた。「人権大統領」と称されるカーターは、中国共産党が人権を踏みにじっているのを見て見ぬふりをし、トウ小平と手を組み、1978年12月、ワシントンと北京で台湾人民に不意打ちを加え、台湾との「断交、米軍撤退、条約破棄」を世界に宣言し、台湾を国際社会の中で孤立させたのである。
 そのころの台湾は、国民党一党独裁下の「党国専制」であり、おりしも台湾人民が、「大陸に反攻する」という口実のもとで、この党国政府が戒厳令統治を行っていることに反発していた。

 「人権大統領」カーターは、自由、民主、人権を勝ち取るための台湾人民の戦いを支持しなかったばかりか、共産中国が台湾併呑のために準備していた軍事覇権拡張に青信号をともしたのである。このようなやり方は、国民党という外来政権の暴政を終わらせるために奮闘していた台湾人民を、こんどは共産党という外来政権の暴政下で奴隷状態に陥れる企みだったと言えないか。
 それ以上に荒唐無稽なパフォーマンスは、その後登場したクリントン政権時代に演じられた。
 
 クリントンが大統領に就任したとき、ソ連帝国はすでに崩壊しており、もはやアメリカは中国と手を組む必要はなく、天安門事件後に成立した江沢民政権は安定していなかった。クリントンは、1992年の大統領選では「バグダッドから北京までの暴君」に真剣に立ち向かうと発言していた。・・・・・・
 ところが、クリントンは、ソ連消滅後の世界をリードし、自由に邁進するという、歴史が彼に与えた最良のチャンスをとらえることなく、逆の選択をして歴史の潮流に逆らい、中国の共産党独裁政権と「建設的・戦略的パートナーシップ」を結び、中国の新しい奴役制度の台頭に迎合し、新たな「バランス・オブ・パワー」を築いた。・・・・・

 荒唐無稽な芝居は、1998年北京で、翌99年にニュジーランドのオークランドでクライマックスを迎えた。1998年6月27日午前9時、クリントンは江沢民の権勢欲を満足させるため、上院が30対16で中止を勧告したにもかかわらず、9年前に学生と平民が虐殺された広場において、江沢民と肩を並べて人民解放軍を閲兵したのだ。・・・・・
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posted by 小楠 at 07:28| Comment(5) | TrackBack(0) | 書棚の中の国際関係