2007年03月05日

公使夫人と明治日本2

中国観や皇后陛下の慈善事業

 今回ご紹介しているのは、1889年(明治二十二年)四月に来日した駐日英国全権公使ヒュー・フレイザー夫人、メアリー・クロフォード・フレイザーの著「英国公使夫人の見た明治日本という本です。
 彼女の日本に対する気持は「回想録」のなかで、「私のふたつのほんとうの故郷、日本とイタリアでは、美がしっかりと生きています。それは、たんにあなたが目にするひとつのみごとな景色のことではなく、風景にふれることと啓示を受けることが一体になりうるということです。自然は或る瞬間に何かを語りかけます。それはあなただけにたいしてであり、和音が言葉に置きかえられないように、翻訳できないものです。しかし、それは明晰で、ごまかしようもなく、神々しいものなのです・・・」という言葉に表れているでしょう。では、書簡風のこの本から。
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引用開始
1889年6月・中国観や皇后陛下の慈善事業
 東京で出されている新聞のひとつに、「日々新聞」というのがありますが、最近、日本と中国の相互関係について、きわめて公正な評論を発表しております。
 私がそれに興味を持ちますのは、私たちがこちらへくる前に、ずいぶん長く中国にいたからです
 船でただの五日の隔りでしかありませんが、中国はこれまでのところ、現代の日本についてはっきりした考えを持っているとは、けっして申せません。中国は、自分より年若いこの国民にたいして、一定の威張った気持を捨て去ることができないのです。たしかに日本は、かつて中国の熱心な生徒ではありました。しかし何度も主張されていますように、けっして中国に貢ぎ物を運ぶ国ではなかったのです。

 「日々」の記者は、中国問題を扱う際に慎重さがなによりも必要であると力説します。というのは、中国はなかば嫉妬から、またなかば日本への軽蔑から、いつでも喧嘩の種を拾いあげる態勢にあり、これは双方にとり、きわめて不都合なことになりかねない、と言うのです。
 他方、日本は中国と闘っていまだ負かされたことがないという誇らしい自意識と、隣国が日本をゆえなく軽蔑しているに違いないという不快な確信とを合体させているとものべています。喧嘩はさし迫っているように思われますが、記者は賢明にも、同胞にたいして、それが双方になんの益ももたらさないこと、

 そして西洋列強に、調和を回復させるという名目で、領地を奪い影響力をのばす機会をあたえるだけだということを想起させています。中国人は、現代の日本人とは、ほとんどなにも共通のものを持たないように思われます。そして、そして、私たちが「天上国」の外交官たちに公式の晩餐会で会いますと、彼らは休戦旗を掲げて敵中に暮らす人々といった風情で、しかも、そのような事態をけっして喜んではいない、という印象をあたえます。・・・・・・・
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posted by 小楠 at 07:49| Comment(2) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本A