2007年03月03日

公使夫人と明治日本1

1890年3月・雛祭り

 1889年(明治二十二年)四月に来日した駐日英国全権公使ヒュー・フレイザー夫人、メアリー・クロフォード・フレイザーの著「英国公使夫人の見た明治日本という本から、特に今日がひな祭りの日なので、目次の順を無視して、静養先の熱海の旅館での場面とひな祭りに招待された時の記述を少し掲載してみます。
写真は著者メアリーと雛祭りでの華族の少女
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引用開始
 私がある華族の名家の少女を訪問していた時のことです。それは彼女の母親が主催する招待日で、きれいな茶会テーブルの上の茶碗のかたわらに、雛祭りにだけ用いられる濃い白酒の小さな瓶がいくつか並んでおりました。
 私がその部屋に入って二、三分にもならないころ、彼女が言いました。「人形をご覧になられますでしょうか? 別の部屋においで下さる労をおかけしますことをどうかお許しください」。そしてこの日のヒロインである五歳の小さな女の子は、私の前に立って案内するのでした。

 彼女は瑠璃色の縮緬を着ていましたが、その裾は淡い青に、肩は濃い紫をおび、かわいらしい模様の刺繍が金糸でほどこされ、高貴な緋と金の帯がしめられていました。頭上につややかに結いあげられた髪は、宝石をちりばめたピンで止められ、そしてまるいふたつの頬には紅がやや目立って掃かれていました。
 完璧に落ち着きはらって彼女は私の手を取り、奥の間へ導いてくれました。

 そこですばらしい光景に目を奪われたのです。深紅の綾で覆われた階段状の棚に幾百もの人形が並べられ、もっとも熱心な人形愛好家のみが夢想しうるような家具や調度も揃っていました。
 いずれの組も、天皇と皇后は廷臣全員にかこまれて玉座に坐っているのです。将軍も大臣も楽師、舞い手たちも皆、はるか昔の衣裳です。腰掛けや床机、絵の描かれた屏風、金蒔絵の什器、そして楽器や武具、すべてが、西洋のもっともすばらしい骨董品をも凌ぐ、あくなき出費と凝りに凝った仕上げでつくられているのです。

 このようなみごとな骨董品にまじって今出来のフランスやイギリスの人形が置いてあるのは、妙な気がします。でもこの小さなレディーはコスモポリタンな趣味の持ち主で、ネジをまかれると歩いたり歌ったりする生き物をとくにめでるのでした。これらのお雛様たちすべてを讃嘆し、それらをみごとに並べたことについて、彼女にお祝いの言葉を言った後、私は彼女に、この厖大な数の人形のなかでどれがお気に入りかしら、とたずねてみました。
 まことの日本人の血を受けつぐ彼女は、ただちに、この前のクリスマスに私からもらった湯舟に浮かぶ陶器の赤ん坊を指さしました。それから一瞬ためらった後、フランス公使夫人から届けられた豪華なパリ娘の人形を指したのでした。・・・・・・・

 日本の女の子! 彼女はあまりに多くの魅力的な矛盾をもつ生き物です。暖かい心と敏捷な頭脳、それでいて恐ろしくせまい経験。第二の天性となった従順さと控え目。それでいて彼女のもともとの天性が再び優位に立ち、勇気が慣習より強すぎる時の、彼女の勇敢な反抗・・・・・

 私が読んだ日本についての書物はつねに、庶民の、かわいい茶店の少女ムスメーや、芸術家にして踊り子、かの機知に富む日本の聡明な高級娼婦ゲイシャについて、じつに多くのことを語っていました。でも思うに、ミュージック・ホールの歌手がヨーロッパの慈善修道女を代表しえないように、こういったムスメーやゲイシャは普通の日本女性を代表してはいないでしょう。このような女性たちが西洋の同等の階層よりもはるかに不快でないのは、疑いもなく、日本の女性の生来の洗練によるのです。・・・・
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posted by 小楠 at 08:07| Comment(10) | TrackBack(3) | 外国人の見た日本A