2007年03月02日

モースの日本観察6

子供の親切な扱いは世界一

モース著の「日本その日その日2」から、モースの観察した1877年の日本の一部をご紹介しています。今回もまた日本の子供たち、学生たちのことが書かれています。モースのご紹介はこれで最終にします。
スケッチは当時の人力車
jinrikisha.jpg

引用開始
 昨日の午後、実験室を出た私は、迷子になろうと決心して、家とは反対の方へ歩き出した。
 果して、私は即座に迷子になり、二時間半というものは、誰も知った人のいない長い町々や狭い露路をぬけて、いろいろな不思議な光景や新奇な物を見ながら、さまよい歩いた。
 晩の五時頃になると、人々はみな自分の店や家の前を掃き清めるらしく、掃く前に水をまく者も多かったが、これは若し実行すれば、我国のある町や都会を大いに進歩させることになる、いい思いつき、且つ風習である。

 帰途、お寺へ通じる町の一つに、子供の市が立っていた。並木路の両側には、各種の仮小屋が立ち並び、そこで売っている品は必ず子供の玩具であった。
 仮小屋の番をしているのは老人の男女で、売品の値段は一セントの十分の一から一セントまでであった。子供たちはこの上もなく幸福そうに、仮小屋から仮小屋へ飛び廻り、美しい品々見ては、彼等の持つ僅かなお小遣いを何に使おうかと、決めていた。

 一人の老人が箱に似たストーブを持っていたが、その上の表面は石で、その下には炭火がある。横手には米の粉、鶏卵、砂糖――つまりバタア(麺粉、鶏卵、食塩等に牛乳を加えてかきまわしたもの)――の混合物を入れた大きな壷が置いてあった。老人はこれをコップに入れて子供達に売り、小さなブリキの匙を貸す。子供達はそれを少しずつストーブの上にひろげて料理し、出来上がると掻き取って自分が食べたり、小さな友人達にやったり、背中にくっついている赤坊に食わせたりする

 台所に入り込んで、しょうがパンかお菓子をつくった後の容器から、ナイフで生麺の幾滴かをすくい出し、それを熱いストーヴの上に押しつけて、小さなお菓子をつくることの愉快さを思い出す人は、これ等の日本人の子供のよろこびようを心から理解することが出来るであろう。・・・・
 老人の仮小屋は移動式なので、彼は巨大な傘をたたみ、その他の品々をきっちり仕舞い込んで、別の場所へ行くことが出来る。これは我国の都市の子供が大勢いる所へ持って来てもよい。これに思いついて、貧乏な老人の男女がやってもよい。
続きを読む
posted by 小楠 at 07:42| Comment(4) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本A