2007年03月01日

モースの日本観察5

熱心な学生たち

モース著の「日本その日その日2」から、モースの観察した1877年の日本の一部をご紹介しています。ここでは上野の教育博物館や大学の学生について、そして有名な大森貝塚発見の最初の記述などが見られます。
スケッチは発掘品の一部
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引用開始
 九月十一日、大学の正規な仕事は、今朝八時、副綜理ドクタア浜尾司会の教授会を以て、開始された。・・・・午後には先任文部大輔が、大学の外人教授たちを、上野公園の教育博物館へ招いて接待した。・・・・・
 我々の持つ教育制度を踏襲した日本人が、その仕事で使用される道具類を見せる博物館を建てるとは、何という聡明な思いつきであろう。ここに、毎年の予算の殆ど三分の一を、教育に支出する国民がある。それに対照して、ロシアは教育には一パーセントと半分しか出していない。・・・・・

 いろいろな広間を廻って歩いた後、大きな部屋へ導かれると、そこにはピラミッド形のアイスクリーム、菓子、サンドウィッチ、果実その他の食品のご馳走があり、芽が出てから枯れるまでを通じて如何に植物を取扱うかを知っている世界唯一の国民の手で飾られた花が沢山置いてあった。これは実に、我国一流の宴会請負人がやったとしても、賞賛に価するもので、この整頓した教育博物館で、手のこんだ昼食その他の支度を見た時、我々は面喰って立ちすくみ、「これが日本か?」と自ら問うのであった。・・・

 九月十二日、私は最初の講義をした。・・・・私の学級は四十五人ずつの二組に分かれているので、一つの講義を二度ずつしなくてはならず、これは多少疲労を感じさせる。私はもう学生達に惚れ込んでしまった。これ程熱心に勉強しようとする、いい子供を教えるのは、実に愉快だ。彼等の注意、礼儀、並に慇懃な態度は、まったく霊感的である。・・・・・
 特に注目に価するのは、彼等が、私が黒板に描く色々な動物を、素早く認識することである。これ等の青年は、サムライの子息達で、大いに富裕な者も、貧乏な者もあるが、皆、お互いに謙譲で丁寧であり、また非常に静かで注意深い。
 一人のこらず、真黒な頭髪、黒い眼、そして皆青味を帯びた色の着物を着ているが、ハカマが如何にも半分に割れたスカートに似ているので、まるで女の子の学級を受持ったような気がする。・・・・

貝塚発掘の様子
 横浜に上陸して数日後、初めて東京へ行った時、線路の切割に貝殻の堆積があるのを、通行中の汽車の窓から見て、私は即座にこれを本当の貝墟であると知った。私はメイン州の海岸で、貝塚を沢山研究したから、ここにある物の性質もすぐ認めた。・・・・・

 当日(十月十六日)朝早く、私は松村氏及び特別学生二人と共に出発した。・・・・我々は東京から六マイルの大森まで汽車に乗り、それから築堤までの半マイルは、線路を歩いて行った。途中私は学生達に向って、我々が古代の手製陶器、細工をした骨、それから恐らく、粗末な石器を僅か発見するであろうことを語り、次にステーンストラップがバルティック沿岸で貝塚を発見したことや、ニューイングランド及びフロリダの貝塚に就いて、簡単に話して聞かせた。
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posted by 小楠 at 07:13| Comment(2) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本A