2007年02月24日

モースの日本観察1

正直な日本人に感心
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 ご存知、大森貝塚の発見で有名な、エドワード・シルベスタ・モース著の「日本その日その日1」から、モースの観察した日本の一部をご紹介してみます。
原書は1917年となっており、全訳が昭和四年となっています。それを復刻したものが今回ご紹介する本です。
第一章は、「1877年の日本――横浜と東京」から始まっています。
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引用開始
 不思議な有様の町を歩いていて、アメリカ製のミシンがカチカチいっているのを聞くと妙な気がする。日本人がいろいろな新しい考案を素早く採用するやり口を見ると、この古い国民は、支那で見られる万事を死滅させるような保守主義に縛りつけられていないことが非常にハッキリ判る。

 私は人力車夫が四人いる所に歩みよった。私は、米国の辻馬車がするように、彼等もまた揃って私の方に駆けつけるかなと思っていたが、事実はそれに反し、一人がしゃがんで長さの異なった麦藁を四本拾い、そして籤を抽くのであった。運のいい一人が私をのせて停車場へ行くようになっても、他の三人は何等いやな感情を示さなかった。

 汽車に間に合わせるためには、大きに急がねばならなかったので、途中、私の人力車の車輪が前に行く人力車のこしきにぶつかった。車夫たちはお互いに邪魔したことを微笑で詫び合っただけで走り続けた。私は即刻この行為と、我国でこのような場合に必ず起こる罵詈雑言とを比較した。

 何度となく人力車に乗っている間に、私は車夫が如何に注意深く道路にいる猫や犬や鶏を避けるかに気がついた。また今迄の所、動物に対して癇癪を起したり、虐待したりするのは見たことがない。口小言を言う大人もいない。これは私一人の非常に限られた経験を――もっとも私は常に注意深く観察していたが――基礎として記すのではなく、この国に数年来住んでいる人々の証言に拠っているのである。・・・・・・

 人々が正直である国にいることは実に気持がよい。私は決して札入れや懐中時計の見張りをしようとしない。錠をかけぬ部屋の机の上に、私は小銭を置いたままにするのだが、日本人の子供や召使いは一日に数十回出入りしても、触ってならぬ物には決して手を触れぬ。私の大外套と春の外套をクリーニングするために持って行った召使いは、間もなくポケットの一つに小銭若干が入っていたのに気がついてそれを持って来たが、また今度はサンフランシスコの乗合馬車の切符を三枚持って来た。

 この国の人々も所謂文明人としばらく交わっていると盗みをすることがあるそうであるが、内地に入ると不正直というようなことは殆ど無く、条約港に於ても稀なことである。日本人が正直であることの最もよい実証は、三千万人の国民の住家に錠も鍵もかんぬきも戸鈕(ちゅう)も――いや、錠をかけるべき戸すらも無いことである。昼間は辷る衝立が彼等の持つ唯一のドアであるが、而もその構造たるや十歳の子供もこれを引き下し、あるいはそれに穴を明ける得る程弱いのである。・・・・・・
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posted by 小楠 at 07:31| Comment(2) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本A