2007年02月19日

明治日本の女たち1

日本の礼儀作法について

「明治日本の女たち」という本があります。著者はアリス・ベーコンというアメリカ人です。彼女は1858年生まれで、1872年に、ベーコン家が岩倉使節団に連れられて渡米していた十二歳の山川捨松(後の大山巌伯爵夫人)のホスト・ファミリーとなったことから、当時十四歳のアリスとは姉妹同然に暮し、津田梅子らとも知り合いました。このような縁で、1888年に来日し、華族女学校や東京女子高等師範学校で英語を教え、
1899年に二度目の来日時には、津田塾大学の前身である女子英学塾の教壇にたちました。では、「明治日本の女たち」から一部見てみましょう。
写真右から二人目が使節団当時八歳の津田梅子
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引用開始
 日本では礼儀作法は行き当たりばったりに学ぶものではない。適当に周囲を見渡して真似するだけではだめである。作法は専門家について学ぶのだ。 日常生活のこまごまとしたことすべてに決まりがあり、礼儀作法の師範はそれらを熟知している。こうした師範の中でも、とくに有名な人たちがいて、それぞれ流派を作っている。
 作法は細かい点では異なっているが、主要なところはどの流派も同じである。お辞儀ひとつとっても、体と腕と頭の位置に決まりがある。ふすまの開け閉て、座り方と立ち方、食事やお茶の出し方など、すべてに細かい決まりがあり、若い女性に教え込まれる。
 
 しかし、教えられるほうはうんざりしていることだろう。私が知っている今どきのふたりの若い女性は、礼儀作法のお稽古には飽き飽きしていて、できることならさぼりたいようだった。お作法の先生が帰ってしまった後に、彼女達が先生のしゃちこばったいかめしいしぐさを茶化して、ふざけているのを目にしたこともある。

 ヨーロッパ風のマナーが、古くからある日本の日常の礼儀作法にどれだけ浸透していくのかはまだわからない。しかし、礼儀作法の師範のような人はじきに過去の遺物になってしまうのではないだろうかと、少しばかり残念に思う。
 日本の若い女性が、予期せぬことに直面してもけっして取り乱さないのは、しっかりと礼儀作法を教えこまれているからではないだろうか。アメリカの若い女性ならば、ぶざまにまごついてしまうような場面でも、日本の女の子は落ち着き払っている。・・・・・

 ここまで、私は昔の日本で女性に許されていた教育について述べてきた。こうした教育は効果的で、じつに洗練されたものであった。
 ペリー提督によって眠りを覚まされる前に教育を受けた魅力的な日本の婦人を知る外国人は、誰もが昔の日本の女子教育のすばらしさを認めるだろう。
 こう書いていると、柔和な顔に輝く瞳をした、ある淑女の姿が目に浮かぶ。東京に住んでいたときに、彼女と親しくなれたのは幸運なことだった。夫に先立たれ、子供を抱えて文無しになった彼女は、東京にある官立学校で裁縫の先生をして、わずかな収入を得ていた。貧しくて多忙な日々を送っていたはずなのに、いつも完璧なまでに貴婦人然としていた。礼儀正しく、微笑みを絶やさず、知的で洗練された読書家で、質素で家事をそつなくこなす、日本で過ごした楽しい時間をふり返るたびに、彼女のことが思い出される。こうした女性こそが、昔の日本女性の教養をよく示している。
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posted by 小楠 at 07:21| Comment(12) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本A