2007年02月01日

米国夫人の大正日本記1

古事記を少しお休みして、今回は1919年(大正八年)6月から1922年(大正十一年)夏まで、大正時代の横浜に住んだアメリカ夫人の著作。
セオダテ・ジョフリー著「横浜ものがたり」の一部をご紹介します。
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本名はドロシー・ガッドフリー・ウェイマン(1893〜1975)で、「エドワード・シルヴェスター・モース伝」の作者でもあります。三児の母で日本の住宅にも住みました。
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※日本人の公園でのマナー
引用開始
 ウスイ(お抱えの人力車夫)と私は一年中花々を追って歩いた。・・・
 桜の花見で私が次に好んだところは、私達の本牧の家に程近い三之谷である。
 この公園はかつて日本のある紳士が所有していたが、海岸に面し、急な白い崖と高い山に囲まれた何万坪かの庭園は一般公衆に開放された。低地には大きな池があって、夏になると見事なピンクと白の蓮の花が茶碗のように空に向って咲き開いた。
 泉水にはコイ金魚が泳ぎ、水面には茶色の鴨が浮かぶ。入口で観覧客は糸につなげられた白いお麩を買う。鴨の住処の小島と池をつなぐ丸木橋の上から麩を投げると、最初の一片が水面につくや否や水中に変動が起こる。大きく尾をひるがえして輝くばかりの金魚[錦鯉]と軍艦色の鯉が無数に姿を現す。見物人がよく食べさせるのだろう彼らは怪物の様に大きく太っている。想像できますか、三フィートもあってアナコンダのように太った金魚を!・・・・・

 樹々の間に輝く朱塗りの鳥居の連なっている境内は聖域を意味する。
曲がりくねった険しい山道を登ると英雄を祀った小さな社があった。その社はほんの三フィートの巾しかない白木の社で、尖った屋根の下の木の棚の間から英雄の名の書かれた碑が見えた。私がここを訪ねた時はいつも必ず二、三人の信者が手を打ち、手を合わせて祈っている姿を見かけない事はなかった。祈祷者には男も女もいたが、ことによく見かけたのは軍服姿の兵隊である。カーキ色の軍服をつけ、脇の下に軍帽を挟み直立して坊主頭を下げる姿であった。

 ある日、私は同国人(アメリカ人)の行為を本当に恥ずかしいと思った事があった。その時祈願を捧げている二人の兵隊の邪魔にならないように社の後ろに座ったのだが、その灰色の木に痛々しくもペンナイフで「ハロー、フリスコ(サンフランシスコ)J.H.S.1915」と堀り刻まれているではないか。なんと言う無意味ないたずら。もし日本人がアメリカで私達の教会にこの様な傷をつけたら何が起こるであろうか。

 日本人が他人の持ち物を尊重することにかけてアメリカ人は学ぶべきところが多い。百万長者の原氏は庭園を開放したあとその一部に高い樹々に囲まれた私邸に住んでいた。ごく小さな表札が門にかかって庭園の観賞は自由だが、それ以上は立ち入らないようにと書かれていた。
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posted by 小楠 at 07:24| Comment(4) | TrackBack(1) | 外国人の見た日本A