2007年01月30日

八俣の大蛇と因幡の白兎

 これも有名なお話。子供の頃祖父がよく話してくれました。須佐之男命と言えば一番に思い出すのがこの勇ましいお話です。そしてもう一つ有名なのが、大国主命(おおくにぬしのみこと)の因幡の白兎(しろうさぎ)のお話ですね。これは可愛らしいお話です。因幡の白兎には歌もあります。
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※八俣の大蛇(やまたのおろち)
 こうして高天原を追われた須佐之男命は、出雲の国の肥の河[島根県の斐伊川]上の鳥髪という所にお降りになった。その時、箸がその河に流れてきたので、須佐之男命はその川上に人が住んでいると思われて尋ね探して上って行かれると、老夫(おきな)と老女(おみな)と二人がいて、少女を間において泣いていた。そこで「お前たちは誰だ」とお聞きになると、その老夫が「私は国つ神の大山津見神(おおやまつみのかみ)の子です。私の名は足名椎(あしなづち)といい、妻の名は手名椎(てなづち)といい、娘の名は櫛名田比売(くしなだひめ)と言います」と答えた。

 また「お前は何故泣いているのか」とお問いになると、「私の娘はもともと八人おりましたが、この高志[地名]の八俣のをろちが毎年来て娘を食ってしまいました。今それが来る時期となり、それで泣いています」と答えた。それで、「そのをろちはどんな形をしているのか」とお聞きになると、「目は赤かがち[真赤に熟れたほほずき]のようで、一つの体に八つの頭と八つの尾があります。そしてその体には、ひかげのかずらと檜・杉が生え、身の長さは八つの谷、八つの峰に渡っており、その腹を見るとどこもかしこも常に血に爛れております」と申し上げた。

 そこで須佐之男命は老夫に「このお前の娘を私にくれるか」と仰せられると、「恐し(かしこし[恐れながら])、まだお名前を存じませんので」と答えた。それに答えて「私は天照大御神の弟である。そして今、高天原より降ってきたところだ」と仰せられた。そこでアシナヅチとテナヅチの神は「それは恐れ多いことでごさいます。娘を差し上げます」と申し上げた。

 速須佐之男命は早速その娘の姿を爪形の櫛に変えて御みづらに刺して、そのアシナヅチ・テナヅチの神に「お前たち、何度も醸した濃い酒を造り、また垣を作り廻らして、その垣に八つの門を作り、門ごとに八つの桟敷を作り、その桟敷ごとに酒の桶を置いて、その桶に先ほどの酒を盛って待つように」と仰せられた。
 そして、言われた通りに準備して待っていると、本当に彼らが言った通り八俣のをろちがやって来た。そしてすぐに酒の桶ごとに自分の頭を入れて、その酒を飲んだ。それで、酔っ払ってその場で寝てしまった。この時、速須佐之男命は、身につけておられた十拳剣を抜き、その蛇をずたずたに斬ってしまわれたので、肥の河は血となって流れた。

そしてその中ほどの尾を斬られた時、御刀の刃がかけた。そこで不審に思われて、刀の先でその尾を割いてご覧になると、すばらしい太刀があった。その太刀を取って、不思議な物だとお思いになり、天照大御神に申し上げて献上された。これが草薙(くさなぎ)の太刀である。(★皇室の「国史」白鳥庫吉著ではこの剣は「天叢雲剣」『あめのむらくものつるぎ』となっています。)

 こうして、速須佐之男命は宮を造るべき所を出雲の国に求められた。そして須賀の地に到り、「私はここに来てすがすがしい心だ」と仰せられて、そこに宮を造ってお住みになった。それでその地を今も須賀と呼んでいる。この大神が初めて須賀の宮をお造りになった時、そこから雲が立ち上ったので、御歌をお詠みになった。その歌は、
 「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」
と言う。
 そこで、アシナヅチの神を呼んで、「お前をわが宮の首長に任じよう」と告げられた、また名を与えて稲田宮主須賀之八耳神と名づけられた。
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posted by 小楠 at 07:15| Comment(2) | TrackBack(0) | 古事記で見る日本