2007年01月25日

フランス人の幕末日記2

 ここでは日本滞在を終えて帰国の途についたボーヴォワールがそのコロラド号の船上でしたためた日記の部分をご紹介します。当時のアジア情勢を彼なりの分析で書かれており、また興味深いものがあります。
L・ド・ボーヴォワール著「ジャポン1867年」より、
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引用開始
 楽しかった日本滞在は、ここにこうしてついに終わった。植物が大地にうっそうと生い茂った自然と、その住民が生来持っている親切な心とは、時がたつにつれてますますわれわれを喜ばせた。・・・・
 わたしの思い違いであればよいのだが、当地へ恐ろしい紛争(国内の対立)を持ち込んだのは西洋人で、この国のすべての階級をそそのかしている根深い革命も、大部分はわれわれの仕業であるとわたしは率直に信じている。

 約三十年前には、日本は、国家的階級制度をひとつの神聖な常態とした封建法の下に、ひとりで生き、栄えて幸せであったことを考えてもらいたい。 今日警戒の叫びは、かまびすしくこの全土にひろがって、上を下への騒ぎである。西洋文明の名にかけて、革命は日本の門戸に迫る。それが急激であればあるだけ一段と恐ろしい衝撃を戸口で支えるために、中世とわれわれの世紀というこの上もなく相反する二つの基礎的原理が、何ら過渡的段階を経ることなしに、まさに相闘おうとしているのである。

 シナについては、西洋は反道徳的で不名誉な阿片の戦いに初名乗りを上げたのであるが、さらにもう一度、イギリスのいいなりになって、平和な国民の中に不和の種を蒔かねばならぬ羽目に陥った。海の女王の商船にと同様、労働する人口にも、新しい必要な食糧を供給しなければならなかったが、それも、マンチェスターの汽缶がいつも煙をあげ、なおいっそう煙をあげるのを見るためであり、それ自身で自足している一民族に、われわれの生産物を強制的に買わせるためであったのである。

 従って日本を無理やり登場させ、われわれの意志を法となして通商を強制し、一民族に向って、「われらこそは最も強きもの、われらの世紀においては人間社会の一部が孤立して立て籠もることは許さぬ。われらはお前らに友好を強いにやって来たのである」といわなければならなかったのである。・・・・・
 1842年、シナにおけるイギリスの戦闘と阿片戦争の噂がにわかに伝わってきて、平穏な日本を不安に陥れた。日本は孤立して生きることしか望まず、そこでは神聖な掟が外国人に近づくことをひとつのけがれとして禁じているのであった。
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posted by 小楠 at 07:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本A