2007年01月24日

フランス人の幕末日記1

 L・ド・ボーヴォワール著「ジャポン1867年」という本から、維新直前の日本に来たフランス人青年の日記を少しご紹介してみましょう。
 その当時(慶応三年)の日本を、フランス人がどのように見ていたか、なかなか興味があります。
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引用開始
横浜 四月二十三日
 きょうわれわれは、はじめて日本の都市内部の探検をおこなった。まだ人気のない、黒焦げのもえのこりが目につく一部の地域は別として、この町が昨年十一月の恐ろしい火災のため完全に破壊されたとは誰も気づかぬであろう。
 道路は大変幅が広くて真っすぐだ。どの家も縦材でつくられ、ひと刷毛の塗料も塗られていない。感じ入るばかり趣があり、繊細で清潔かつ簡素で、本物の宝石、おもちゃ、小人国のスイス風牧人小屋である。

 日本国民は木材を見事に細工する。滑り溝を走る隔壁、縦の棒で出来た細い枠ぐみ、その格子の上には綿毛で覆われ、光を通す紙が貼られる。こうしたもので支えられる、軽いが丈夫な屋根を見るのは興味深い。一軒の家がこのような紙製の薄い間仕切り壁しか持てぬということは、わたしの思いも及ばなかったところである。
 日が暮れてすべてが閉ざされ、白一色のこの小店の中に、色さまざまな縞模様の提灯が柔らかな光を投げる時には、魔法のランプの前に立つ思いがする。・・・・

 われわれはすでに挨拶の言葉を話しはじめている。「オハイオ」はボンジュール。「オメデト」はわたしはあなたを祝う。「イルーチ」はきれい、魅力的。「セイアナラ」はまたお目にかかりましょうだ。
 それにこの民族は笑い上戸で心の底まで陽気である。われわれのほんのわずかな言葉、ささいな身振りをたいへんに面白がる
 男たちは前に述べたとおり、ちょっとしたものを身に付けただけでやって来て、われわれの時計を調べ、服地にさわり、靴をしげしげと見る。そして、もしも彼らの言葉をまねて少々大胆すぎるほど不正確に発音すると、口火用の筋状に巻いた火薬に火をつけたように、若い娘たちの間から笑いがはじける。

 そこからわれわれは弁天の社へ赴く。薫香、香水、何千という奉納物、大きな鐘から取るに足りない手芸品、要するに清潔さを別にすればシナの寺塔と何一つ変わるところはない。ああ、あのように不潔、下品なあの中国を離れて間もない今、どんなに深い喜びの気持で日本への挨拶をすることであろうか。
 ここでは物みな実に明るく、美しい色調をもって眼に映ずるのである。何という対照であろう。健康を害う沼のどろどろした汚泥から、こんこんと湧き出る泉の、底の見える冷たい流れへ、死の平原から永遠の緑へ、または石ころを投げ、熊手を振るってわれわれを殴り殺そうとした民衆から、この地球上で最も温和で礼儀正しい住民へと転換するのである。・・・・
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posted by 小楠 at 08:12| Comment(11) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本A