2007年01月13日

朝日新聞の無責任豹変

ソ連共産党崩壊に厚顔無恥の豹変

 片岡正巳著「朝日新聞の戦後責任」より、ソ連崩壊時のあきれかえる記事を見てみましょう。前回の記事をご覧の方は目を疑うのではないでしょうか。朝日新聞が全く信用できないことがよく分かります。
こんな恥知らず新聞はもう日本から消滅させるべきです。
写真はベルリンの壁崩壊を祝ってダンスする両ドイツ国民
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引用開始
 アンドロポフ書記長は就任わずか十五ヶ月で1984年(昭和五十九年)2月に死去した。後を継いだチェルネンコもまた翌85年(昭和六十年)3三月10日に世を去った。そしてミハイル・ゴルバチョフの登場である。
 ペレストロイカ(改革、改造)とグラスノスチ(情報公開)を掲げた大胆なゴルバチョフのもとで、85年11月にはレーガン米大統領と六年ぶりの米ソ首脳会談がジュネーブで行われ、米ソ関係は雪解けの兆しを見せる。87年(昭和六十二年)12月のワシントンでの米ソ首脳会談では、INF(中距離核戦力)全廃条約に双方が調印した。そして89年(平成元年)12月3日、地中海のマルタ島で行われた両首脳会談で、歴史的な「冷戦終結」宣言へと進む。

 この間、同年夏には東独市民がハンガリー経由で多数西独に脱出する事態が起り、11月初めには遂にベルリンの壁が崩壊、12月末にはルーマニアで自由を求める民衆の暴動が起り、チャウシェスク政権が劇的に倒れる。同大統領は夫人と共に特別軍事裁判で死刑判決を受け銃殺された。
 チェコスロバキア連邦議会は、ドブチェク元共産党第一書記を議長に選出した。ソ連軍に押しつぶされた“プラハの春”の指導者の復活である。げに大雪崩の如き世紀的な東欧諸国の共産党支配の崩壊であった。

 かくして1991年(平成三年)8月、レーニン革命以来七十年余、ソ連邦を支配してきたソ連共産党が潰えた。そして、同年暮にはソ連邦が瓦解して新たな連邦、独立国家共同体(CIS=ロシア、ウクライナ、ベラルーシの三共和国を中心に十二カ国が加盟)に変わるが、ソ連共産党崩壊について朝日は何と論じたか。平成三年八月二十五日付社説は次のように論述したのである。

「<自由な共和国による揺るぎない連邦>。スターリンの時代以来、ソ連の指導者は自国をこうたたえてきた。それは建前にすぎず、実はどの共和国も、共産党とそれが支配する軍、KGBなどの『鉄の腕』に締めあげられてきた。中央権力は民族の文化、言語を軽んじ、ときにその抹殺さえはかった。抵抗する人たちは迫害した。
 新連邦条約は何より、忌まわしい過去を清算し、これまで建前にすぎなかったものに実質を与えるものでなければなるまい

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posted by 小楠 at 10:18| Comment(2) | TrackBack(0) | 反日マスコミ